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「本塁打」と“全壘打“、そして「長打率」【下】|やっぱり漢字が好き22:時には野球の話を②

「本塁打」と“全壘打“、そして「長打率」【下】|やっぱり漢字が好き22:時には野球の話を②

著者:戸内俊介日本大学文理学部教授) 

 前号では、「ホームラン」に対する訳語として、日本では「本塁打」、台湾では“全壘打”が採用されていることを通して、ある外来語に対しどのような訳語を採用するかは、その単語が表す概念のうちどの場面に焦点を当てるのかで変わるということを述べた。つまり「本塁打」は打撃の結果「到達する」塁を表しているが、“全壘打”は打撃の結果「通過する」塁の総数を示していると考えられるのである。

 さて、「長打率」という用語がある。これは選手1人が打撃によって獲得できる1打数あたりの塁打数の平均値を表す。ここで言う「塁打数」とは単打(一塁打)を1、二塁打を2、三塁打を3、本塁打を4として計算する指標である。これらの数字は進塁した塁の量を表しており、したがって「長打率」とはざっくり言えば、1人の選手が1打席で打撃によってどれくらい塁を進められるか、という指標である。

 たとえば、2023年に大谷翔平選手がメジャーリーグ(MLB)でMVPを獲得したとき、長打率は0.654であったが、この数字は大谷選手が1打席あたり打撃によって0.654塁分進むことが期待できるということを示している。

 野球に詳しくない方はピンとこないかもしれないが、0.654というのは特出した数字で、この年のMLBのトップである。また近年、日本のプロ野球(NPB)でこの数字を超えたのは、セ・リーグでは2022年の村上宗隆選手(ヤクルトスワローズ)の0.710、パ・リーグでは2018年の柳田悠岐選手(ソフトバンクホークス)の0.661で、前者は三冠王を獲得した時の記録(打率 .318;本塁打56)、後者は3割30本と同時に首位打者を獲得した時の記録である(打率.352;本塁打36)。

 この長打率という用語はこれまで多くの誤解を招いてきた。野球用語で「長打」というと普通、安打(ヒット)の中で単打(一塁打)を除いた、二塁打、三塁打、本塁打を指すのだが、この長打という用語の類推から、しばしば長打率は「二塁打、三塁打、本塁打を打つ確率」と勘違いされる。まあ、普通はそう考えてもおかしくない。

 実際、TBSが制作した『ルーズヴェルト・ゲーム』(2014年4月〜7月)というドラマでは、長打率に対し「2塁打以上のヒットを打つ確率」という誤ったテロップが表示されたことがある。これが一部のネット掲示板で騒動を引き起こした。キー局製作のドラマが、野球に詳しくない人が犯しがちな間違いを堂々と流してしまったためである。

 長打率はむしろ「塁打率」と言った方がより実情に即していると思うのだが、長打率という名称で定着してしまっている。これは長打率を英語でslugging percentage、すなわち「長打の率」、「強打の率」ということにも強く関与している。

 「長打率」は台湾でも“長打率”と表記される。「本塁打」を“全壘打”と呼び替えているのであるから、“壘打率”と表記を変えても良さそうに思うが、変更はされていない。台湾でも「2塁打以上のヒット」を“長打”と呼ぶことから、日本と同じような勘違いがあるようで、wikipediaの繁体字版《維基百科》の〈長打率〉の項目では、“字面上的解釋應該是「出現長打的機率」,但事實上,更深層的意義是「打擊者每一次擊球可以貢獻幾個壘包」”(字面では「長打の出現する確率」と解釈されるが、実際には「打者が打席ごとにいくつの塁を獲得できるか」を意味する)と注記される。

 以上、前号と今号では、野球に見られる漢字について筆を進めた。筆者は野球の観戦を趣味とし、また漢字やことばについての研究を仕事としているが、なんとか趣味を仕事のほうに近づけようと、こんなことをつらつら考えたのである。

 なおトップ画像は今年3月筆者がエスコンフィールドHOKKAIDOにてファイターズ対ベイスターズのオープン戦を観戦した際に撮影した写真である。

※本コラム「やっぱり漢字が好き」は7月より隔週金曜日に公開する運びとなりました。次回は7月12日(金)公開予定です。

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≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。



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