「無洗米」を無理やり読み解いてみる【上】|やっぱり漢字が好き28

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
お米が手に入りにくい状況が続いている。9月になって新米が出回り始めたことで、今後徐々に品薄が解消されるという。ともかくここのところ、お米に関する報道が多かった。そこで本コラムでも思い切って「米」に関わる内容を取り上げることにした。ただし内容はきわめて平和的である。「無洗米」の名称について、筆者が考えたことを書き記したい。全2回の予定である。
「無洗米の意味を誤解していた」という意見をしばしばインターネット上で目にする。曰く、「『無洗』は『洗っていない』という意味であるため、『無洗米』は『前もって洗っていないお米』のことである」と勘違いしていた、というような具合である。みなさんは「無洗米」の表記を見て違和感を持つだろうか。
「無洗米」は当然、「洗う必要のないお米」を指す。しかし「無洗米」という語構成からこの意味をひねり出すのは相当難しい。というのも、日本語の「無~」という語構成は、一般的に「~がない」あるいは「~していない」という意味になり、「~する必要がない」という意味を表さないからである。
たとえば、「無」に名詞が後続する場合、
無愛想:愛想がない
無意味:意味がない
無人:人がいない
のように、「~がない、いない」の意味になるし、また「無」に動詞的意味を持つ語が後続すると、
無頓着:頓着がない=頓着していない
無着色:着色がない=着色していない
無感動:感動がない=感動していない
のように、「~していない」という意味になる。これは、「無」が本来、「存在しない」ことを表す動詞であることに由来する。
「無洗米」については、以上の内容をもって「無洗米という語構成はおかしいですね、ちゃんちゃん」と終わってもよい。しかし、漢字を徹底的に追求する本コラムがこれだけで筆を擱けるはずがない。せっかくの機会なので、古代中国の文字表記に対する研究成果を応用して、無理やりにでも「無洗米」を「洗っていないお米」以外の意味で解釈してみたい。筆者にとってはきわめて真面目な試みである。
春秋戦国時代の中国語の「無」は「所有しない」「存在しない」ことを表す動詞であった。この時代の中国語と言うのは、日本でもおなじみの『論語』や『春秋左氏伝』『孟子』『史記』といった文献で用いられた言語である。まずは、「無」に名詞が後続する例を挙げる。
(1) 臣無二心。(『春秋左氏伝』荘公十四年)
〔臣下が謀反の心を持たない。〕
(2) 慧曰「無人焉。」相曰「朝也,何故無人。」(『春秋左氏伝』襄公15年)
〔師慧は「ここには人がいません。」と言った。介添え役は「ここは朝廷です、どうして人がいないのでしょうか」と言った〕
例(1)は「無」に名詞句「二心」が後続しており、「無」は「所有しない」という意味となる。例(2)は名詞「人」が後続し、「無」は「存在しない」の意味。
春秋戦国時代の「無」はさらに、後ろに動詞、形容詞を伴い、「~なことはない」「~なものはいない」といった意味も表す。次の例では「無」に「求生以害仁」〔命欲しさに仁を害する〕という動詞句が後続する。
(3) 志士仁人、無求生以害仁。(『論語』衛霊公篇)
〔志のある人や仁の心を持った人は、命欲しさに仁を害するようなことはない。〕
以上が、「無」の基本的な意味機能である。「無洗」は「無」に動詞「洗」が後続していることから、この時代の文法に照らせば、「洗うようなことはない」とでも訳せようか。この段階では「無洗米」が言い表したい「洗う必要のない」という意味にはまだまだ距離がある。
さて、同じ春秋戦国時代に「毋」という否定副詞がある。動詞の前で用い、「〜してはいけない」「~すべきはでない」という意味を表す。この種の「毋」は実のところ用例が少ない。次の(4)は、戦国時代の楚国の竹簡(楚簡)に見える例である。
(4) 毋暴。毋虐。毋賊。毋貪。(上博楚簡『従政』甲本15号簡)
〔粗暴にふるまってはいけない。虐げてはいけない。害してはいけない。貪ってはいけない。〕
さて、いまなぜ急に「毋」を取り上げたのかというと、秦代以降の書面言語(書き言葉)、「毋」と「無」に区別がなくなる状況が生じたからである。秦漢代の出土文献の中には、例(1)(2)で見た「所有しない」「存在しない」を意味する動詞の「無」を「毋」字で表記するものが現れる。たとえば次の「毋」は動詞「有」と対を成しており、意味上では「無」に該当する。
(5)鯉也死,有棺毋椁。(平壤貞柏洞漢簡『論語』先進篇)
〔私(孔子)は自分の子の鯉が死んだとき、埋葬のために棺があるだけで、棺を納める外棺がなかった。〕
(5)は竹簡に書かれた前漢時代の『論語』(しかも北朝鮮より出土したもの!)であるが、赤字部分を現行の『論語』は「有棺而無椁」と「無」で表記する。
(5)のような動詞の「毋」は、この後さらに「無」へと書き戻されることになるのだが、紙幅の都合により、詳しい経緯については次号に回すこととする。
次回「やっぱり漢字が好き29」は10月4日(金)公開予定です。
≪参考資料≫
金谷治訳『論語』、岩波書店、1963年
小倉芳彦訳『春秋左氏伝』(上)(中)(下)、岩波書店、1988-1989年
戸内俊介「海昏侯墓出土木牘『論語』初探」、『中国出土資料研究』第24号、2020年
宮島和也「上古漢語否定詞“無”“毋”及其相関字的演変補説:以戦国秦漢出土文献為主」、林範彦・池田巧編『シナ=チベット系諸言語の文法現象5:否定の多様性』、2022年
李成市・尹龍九・金慶浩(橋本繁譯)「平壤貞柏洞三六四號墳出土竹簡『論語』について」、『中國出土資料研究』第14號、2010年
大西克也「論“毋”“無”」、『古漢語研究』1989年第4期
馬承源主編『上海博物館蔵戦国楚竹書』(1)-(9)、上海古籍出版社、2001-2012年
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。