難読漢字

新聞漢字あれこれ61 「酛」 日本酒好きなら知っている

新聞漢字あれこれ61 「酛」 日本酒好きなら知っている

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)

 「酛」の字をご存じですか。知っている人はもしかすると日本酒好きなのかもしれませんね。どうでしょう?

 「酛」はJIS第3水準の「超1級漢字※」で、あまり目にする機会は多くないと思います。『国字の字典』を見ると「『酒の省画と元』を合字したもの」とあり、酒の元である酒母を表します。日本経済新聞での使用例は、日本酒の伝統醸造法である「生酛(きもと)造り」でよく見られ、主に地域経済面(地方版)の記事に登場します。

 「生酛造り」は江戸時代に確立された自然的純粋酵母培養法で、米と麴をすりつぶし、空気中や酒蔵の壁などに自生する乳酸菌を取り入れ、約1カ月かけて酒母をつくっていきます。かつては全国の蔵元で行われていましたが、明治後期に人工培養した乳酸菌を添加する「速醸酛」が開発されると、1~2週間で酵母を増殖させる「速醸仕込み」が主流となりました。それが近年、食生活の自然志向が強まるなか、味に深みが出るとされる「生酛造り」が見直されるようになり、地方から「生酛造り」へ原点回帰する動きが徐々に広がりました。商品名に「生酛」をつけた日本酒も増えています。こうして地方版を中心に「酛」の字が紙面に登場するようになったというわけです。実際にはもっと広い範囲で行われているはずですが、私が紙面から採集した「酛」の地域は、北海道、秋田、福島、茨城、栃木、富山、石川、福井、山梨、京都、兵庫、奈良、鳥取、島根、岡山、山口の16道府県でした。

昨年9月、所属する知新会(漢字教育士2期生有志の勉強会)で、笹原宏之・早稲田大学教授の講演会がありました。コロナ禍、オンラインで行われ、懇親会もオンラインでの開催。その席で八重樫一・福島県漢字同好会会長が「純米生酛」と書いたラベルの一升瓶を持って現れました。国字研究の第一人者である笹原教授との懇親会に国字「酛」の日本酒を用意したところに、さすが八重樫さんだなあと感心したものです。

 

 ちなみにお酒は福島県二本松市の大七酒造(1752年創業)のもの。同社は長年、生酛造りを続ける蔵元として知られ、2005年12月24日付日経プラスワンでは「おせち料理に合う日本酒」で第1位に選ばれています。私もこのコラムの執筆、写真撮影を理由に、正月は「酛」の字を見ながら「純米生酛」を味わうこととなりました。

 円満字二郎さんの『部首ときあかし辞典』の酉の項には「微生物の贈りもの」という小見出しがついています。手間と時間をかけてつくられたお酒を飲むときは、蔵人と微生物たちに感謝することを忘れてはいけませんね。

※超1級漢字:JIS第1・第2水準以外の漢字のこと。筆者の造語。漢検1級の出題範囲である約6000字がJIS第1・第2水準を目安としていることから。

≪参考資料≫

阿辻哲次編『角川新字源改訂新版』KADOKAWA、2017年
笹原宏之『国字の位相と展開』三省堂、2007年
芝野耕司編著『増補改訂JIS漢字字典』日本規格協会、2002年
新潮社編『新潮日本語漢字辞典』新潮社、2007年
友田晶子『ビジネスエリートが知っている 教養としての日本酒』あさ出版、2020年
飛田良文監修・菅原義三編『国字の字典 新装版』東京堂出版、2017年

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「とりへん(酉)」の漢字を調べよう
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≪著者紹介≫

小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。編集局 記事審査部次長、人材教育事業局 研修・解説委員などを経て2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。
2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。

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