新聞漢字あれこれ35 エビちゃんを探せ!
著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
ある日の朝刊紙面で、札幌市にある天ぷら店の名前に使われる字が「蛯」であるべきところを「蝦」とあやうく間違いそうになったと業務報告書に書いてあるのを見ました。エビの漢字表記もいろいろありまして……。
笹原宏之・早稲田大学教授の著書『方言漢字』には「北海道では『海老』は【蛯】と書かれ」とあるなど、北海道で「蛯」の字がよく使われているという話があります。校閲記者ならば「蝦ではなくて蛯ではないか」とすぐにぴんときてほしかったところですが、なかなかそううまくはいきません。同じ虫偏というところが、記事を書いた記者、チェックをする校閲記者の目を盗んで、表に出そうになった結果だと思います。
新聞には多くのエビが登場します。今回のような店名もあれば、人名、地名などの固有名詞も多くありますし、魚介の相場欄には「車エビ」の価格も載っています。表記も実にいろいろとあって、思いがけないような漢字まで見られます。新聞にはいったいどれだけのエビがいるのか。そのすべてをとらえることは難しいので、ここでは2019年の日本経済新聞朝夕刊に載った姓名の漢字表記に絞って採集してみることにしました。
表を見てください。一番種類の多かったのが「海老」です。ずばり海老さんもいれば、海老沢さんに海老名さんも。姓としては8種あり、一般的な表記としてもなじみのあるものです。次に多かったのが「蛯」の5種。「蝦」の字には蝦名さんがいました。わずか1年間の新聞での用例ですので、日本全国のエビさんを網羅できているわけではなく、エビと読む漢字表記はほかにもあるはずです。私の手元の資料には、2008年の叙勲記事で採集した「魵」の姓が2例ありました。また、姓ではなく名前のエビさんもいます。芸名ですが、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんと俳優の戎屋海老(えびすや・えび)さんを紙面で見つけました。
写真は2016年7月に北海道函館市内の回転ずし店で、店の許可をとりレーン上を撮影したものです。「蛯三好」と書かれたものの後ろにはエビの握りが3種のった皿が流れていました。実は「蛯三好」と書かれた裏側は「海老三好」となっていて、地元客向けと観光客向けに書き分けているのだなと感心したものです。やはり北海道では「海老」と同様に「蛯」もなじみ深い表記なのですね。記録として裏側を撮り損なったことは、今となっては大変悔やまれます。
いろいろあるエビ表記。特に固有名詞はきちんと使い分けないといけません。今回は新年1回目ということで、おめでたそうなエビの漢字を取り上げました。
≪参考資料≫
江戸家魚八『魚へん漢字講座』新潮文庫、2004年
笹原宏之『当て字・当て読み 漢字表現辞典』三省堂、2010年
笹原宏之『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』三省堂、2011年
笹原宏之『方言漢字』角川選書、2013年
笹原宏之『謎の漢字』中公新書、2017年
芝野耕司『増補改訂 JIS漢字字典』日本規格協会、2002年
飛田良文監修・菅原義三編『国字の字典 新装版』東京堂出版、2017年
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≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。編集局 記事審査部次長、人材教育事業局 研修・解説委員などを経て2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 著書などに『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林 第四版』(編集協力、三省堂)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。
≪記事画像≫
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記事中写真:筆者撮影