干支「巳」と「子」の由来をめぐる謎(上)|やっぱり漢字が好き34

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
時が経つのも早いもので、今年も残すところあとひと月となった。本コラムでは毎年この時期になると干支の漢字を取り上げているが、今年も同様に来年の干支について書きたい。
以前述べたように、干支は殷代後期(紀元前13世紀~紀元前11世紀)の甲骨文の時代から用いられている。ただし十二支にそれぞれ特定の生き物を当てる習俗、すなわち、卯=うさぎ、辰=たつ、巳=へび……といった対応は、殷代からあったというわけではない。
さて来年の干支「巳」であるが、殷代甲骨文や西周金文では不思議なことに「子」形の文字で表記されている。たとえば(1)は甲骨文の「丁巳」、(2)は金文の「丁巳」であるが、「巳」字は(3)「婦妌㞢(有)子」〔婦妌に子が生まれる〕の「子」(上から4字目)と同形である。いずれも赤子の頭と体と腕の形を象った字形である。
(1)丁巳(甲骨文合集32)
(2)丁巳(史頌簋:殷周金文集成4232)
(3)婦妌㞢(有)子。(合集13931)
〔婦妌に子が生まれる。〕
それでは殷周時代の出土資料で干支の「子」はどのように書くか。次の(4)~(6)をご覧いただきたい。(4)(5)は甲骨文に見える「甲子」、(6)は西周金文の「甲子」であるが、現行の「子」とは似つかわしくない文字が用いられている。
(4)甲子(甲骨文合集38012)
(5)甲子(合集495)
(6)甲子(利簋:殷周金文集成4131)
(4)(6)がより原始的な字形で、(5)はその略体・俗体である。前者は後漢『説文解字』で挙げられている「子」字の異体字の1つである籀文(7)に該当する。
(7)子(『説文解字』籀文)
『説文解字』で「子」の籀文に(7)を収録するのは、(7)が古い時代に十二支の1番目(すなわち現在の「子」の位置)に当てられていたからに過ぎず、現在の「子」字と(7)が同語・同字であったという証拠はどこにもない。つまり(4)~(7)はそもそも「子」字ではなく、かつて十二支の1番目に当てられていたが、のちに(春秋戦国時代あたりに)失われた文字と考えられる(以上、松丸2017)。そのためこれを現在のどの漢字に当てたら良いかはよく分からない。なおこれらの文字は赤子の顔を正面から見た形の象形とされる(上につけられた3本の縦線は赤子の髪の産毛である)。
このあと十二支の1番目には(1)~(3)の「巳(子)」字が当てられ、6番目(すなわち現在の「巳」)には新たに別の文字が当てられるのだが、その具体的な経緯については、紙幅の都合で次号に回すこととしたい。
次回「やっぱり漢字が好き35」は12月27日(金)公開予定です。
≪参考資料≫
松丸道雄「十二支の『巳』をめぐる奇妙な問題」、『甲骨文の話』、大修館書店、2017年
郭沫若主編・中国社会科学院歴史研究所編『甲骨文合集』第1巻-第13巻、中華書局、1977年―1982年
葛亮『漢字再発現』、上海書画出版社、2022年
中国社会科学院考古研究所編『殷周金文集成』第1冊-第18冊、中華書局、1984年-1990年
≪参考リンク≫
漢字ペディアで「巳」を調べよう
漢字ペディアで「子」を調べよう
≪おすすめ記事≫
やっぱり漢字が好き。5 「干支」ってなんだ!?(上) はこちら
土用の丑の日と「丑」の字源【上】|やっぱり漢字が好き23 はこちら
≪著者紹介≫
戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。