0を表す「〇」は漢字か?その1|やっぱり漢字が好き37

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
今年は2025年である。日本、中国を問わず、漢字では「二〇二五年」と表記される。一方、声に出して読み上げると、日中で違いが見られる。日本語では「〇」そのものを発音しないが(ニセンニジュウゴネン)、中国語では「〇」に“零”(リン、ピンイン:líng)の音を当てる(アルリンアルウーニエン、ピンイン:èr líng èr wǔ nián、)。なおアルファベットはピンインと呼ばれる中国語の発音表記である。
横書きと縦書きを併用する日本では、主に縦書きの時に「〇」が用いられる。一方、現代中国の書字方向は基本的に横書きである。つまり中国語は横書きでありながらも“〇”を用いるということである(以下、現代中国で用いられている字であることを積極的に示したいときは、その字を“ ”で括ることとする)。
「二〇二五年」という表記において、「二」「五」の数字は明確に漢字体系に属する。「〇」も数字の0に対応することから、他の漢数字と同様に、漢字と見なして問題ないように思われる。しかし、「〇」が漢字か否かは相当にやっかいな問題で、漢字研究の領域ではいまだに決着を見ていない。今号から4回に分けて、この問題について日中における「〇」の辞書での扱いや、中国における「〇」の歴史的展開を追いつつ、私見を述べたい。
まず辞書の収録状況から確認する。日本で刊行された漢和辞典について言えば――全ての漢和辞典を調査したわけではないけれども――『全訳漢辞海(第4版)』(三省堂、2016年)や『新漢語林(第2版)』(大修館書店、2011年)をはじめ、総じて「〇」を単独で立項していない。このほか『現代漢語例解辞典』(小学館、1992年)は「非漢字部」の中で、「〇」を「々」や「〆」とともに列挙する。以上は「〇」を漢字と認めない立場であるが、一方で、『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)は「〇」を「その他の特殊な記号や文字」の一覧表に収録し、「漢数字ゼロ」と注記し、『新潮日本語漢字辞典』(新潮社、2007年)は「零」の語釈の中で「漢数字では『〇』」と解説する。ただこのように「〇」を漢字と明記する辞書は少数で、日本の漢和辞典は総じて「〇」を単独で立項することがなく、そのうえ「〇」を漢字として認めない傾向が強い。
一方、現代中国語に関する辞書は処理の方法が大きく異なる。日本で刊行された中国語辞典である『中日辞典(第2版)』(小学館、2003年)は“〇”を単独で立項し、「零.まる.ゼロ.番号や年号などの数字を漢字で表すのに用いる」との語釈を挙げる。同様に『現代中国語辞典』(光生館、1982年)や『中日大辞典(第3版)』(大修館書店、2010年)も“〇”を単独で立項する。
国外に目を向けると、中国で最も普及している現代中国語辞典『現代漢語詞典(第7版)』(商務印書館、2016年)では“〇”を単独で立項し、「数の空位、“零”と同じ(しばしば数字に用いる)」との語釈を掲載する。また、中国で最も影響力のある辞書『新華字典(第12版)』(商務印書館、2020年)も“〇”を単独で立項する。このほか、収録字数が60000字を超える中国屈指の大型辞書『漢語大字典(第2版)』(9巻本、四川辞書出版社、2010年)も“〇”を単独で立項しつつ、(一)「“星”と同じで、唐の則天武后が作った文字である」と解説するほか、(二)「“零”と同じ。数の空位で、しばしば数字の中で用いる」といった語釈も収録する。以上、“〇”を単独で立項する主な辞書を挙げたが、中国で刊行されているすべての辞書が“〇”を立項しているわけではない。
「一」が1に対応し、「二」が2に対応していることに鑑みれば、0に対応する「〇」も漢字と見なして差し支えないように思われる。さらに上で引用した『漢語大字典(第2版)』にもあるように、唐の時代に則天武后が作った漢字の中に、「星」の異体字として「〇」字がある。これは数字のzeroや数の空位とは無関係であるけれども、「星」の異体字、すなわち「星」を表す「漢字」である以上、それと同形の「〇(=零)」も漢字と認めることができそうである。また中国の書記言語において多くの場合、“〇”が“零”と置き換えられ、同時に“零”と同様「リン」(ピンイン:líng)と発音される現象も、“〇”が漢字であるという説を後押しする。というのも、漢字には必ずその文字固有の字形、意味、発音があるからである。
しかし実のところ「〇」の数字表記としての起源については、一般に想定されているような、数字の0との直接的な関連は認められない。「〇」の発生過程は南宋時代(1127年~1179年)における算木(計算用の道具)を用いた数表記に遡ることができる。当時、複数桁の数値における空位表記として「□」が使用された。例えば、104976という数は「一□四千九百七十六」という形式で書き表された。
現行の「〇」という表記は金王朝(1115年~1234年)のころに出現したらしい。この「〇」は、「□」からの変形として理解される。すなわち、書写の利便性から「□」が徐々に円形の「〇」へと変化していったという。
特に重要な点として、「□」や「〇」は算木という計算用具に基づく表記体系の一部であり、本質的には数を示す「符号」としての側面が強い。したがって、これらは言語を表記する文字体系としての漢字とは、その性質を本質的に異にするものであった。そのため「□」や「〇」を当初どのように口頭で発音していたかは定かではない。固有の発音がなかったということは、「〇」が起源的には漢字としての資格を欠いていたということにつながる。繰り返しになるが、漢字には必ずその文字固有の発音がなければならない。
以上、「〇」が漢字として認められるという観点と、漢字とは認めがたいという観点をそれぞれ紹介した。今号はここまでとしたい。次号では、「〇」から進んで、さらに数字zeroを表すもう1つの漢字「零」について取り上げる。
次回「やっぱり漢字が好き38」は2月7日(金)公開予定です。
≪参考資料≫
今泉潤太郎著・曲翰章訳「〇是漢字嗎?」、『語言教学与研究』1992年第1期
于立君「“〇”応当被認定為漢字」、『中国語文』1999年第6期
解竹「関於“〇”的争論及辞書収録建議」、『辞書研究』2021年第5期
史有為「“〇”是漢字嗎?」、2020年8月16日
史有為「再談数字“〇”」、「“〇”字規範再議」、2020年8月28日
舒宝璋「説“〇”」、『辞書研究』1991年第6期
中華人民共和国国家質量検験検疫総局・中国国家標準化管理委員会『出版物上数字用法GB/T15835-2011』、中国国家標準出版社、2011年
唐建「説“〇”」、『漢語学習』1994年第2期
傅海倫「“0”、“零”、“〇”的起源与伝播」、『数学通報』2001年第8期
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。