走る馬、欠けた足―漢字の「馬」の点が語るもの|やっぱり漢字が好き56
著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
カレンダーも残りわずかとなった。人のみならず、馬も慌ただしく走り抜ける師走。そう、有馬記念の季節である。現在TBSで放送中の競馬ドラマ『ザ・ロイヤルファミリー』も大団円を迎えた。今号では、この「馬」という漢字の字形を取り上げる。特に足の数に注目したい。
「馬」字の下の点は馬の足を象った部品である。言うまでもなく、馬は四足動物だから、点は4つある。ところが、世の「馬」字の中には、点が4つ揃わないもの、つまり足が欠けたものも存在する。
たとえば、埼玉県秩父郡皆野町にある馬頭観世音の碑文は「馬」を3点の「
」で書く。写真でお見せしたいところであるが、残念ながら撮影に行くことができなかった。ところがなんと、荒川弘氏の漫画『百姓貴族④』で絵とともに紹介されている。極めて忠実に描かれているので、ぜひ紹介したい。下の図1をご覧いただきたい。
©荒川 弘/新書館
図1 荒川弘『百姓貴族④』(新書館、2016年、84ページ)「馬頭」
なぜこの「馬」字が3点で書かれているのかについては、石碑の側に次のような由来が掲示されている。
「……この馬頭観世音は、石碑に例をみない珍しい文字で刻まれている、馬と云う字の点が三つしかなく近郷に無い碑とされている。生きて働いている馬は足が一本は必ず浮いていると云う事で馬の点が三つ此の馬頭観世音は生馬の安全と創立記念として日之出運送組合の発展を祈念して大正十三年九月建立したものである」(原文ママ)
つまり生馬を模すために、わざと足(=点)の数を減らしたということである。
さて、3点で書かれた「馬」は、遙か時間を遡って、古代中国前漢時代の隷書にも見られる。秦は文字統一によって漢字の厳格な運用を強制し、漢は制度として秦の文字表記体系を引き継いだが、前漢初期はまだ漢字の形体の規範性が緩やかなところもあり、点や線の増減が許容されることがあった。図2は前漢時代の出土資料である馬王堆帛書に見える3点の「馬」である。

図2 馬王堆帛書『老子甲本』
とはいうものの、朝廷に差し出す上奏文ではきちんとした文字遣いで書くことが要求され、誤字があれば書記官は罪に問われたようである。たとえば、前漢の石建という人物が皇帝に上奏文を差し出したところ、差し戻された。石建が読み返してみると、「馬」の足が3本しかないことに気がつき、死刑に処されるのではないかと恐れおののいたというエピソードが『史記』に描かれている。
現代の日本では、3点の「馬」のほか、2点の「馬」字も存在する。スマートフォンのゲームアプリ『ウマ娘 プリティーダービー』は「馬」を2点の「
」で書く。たとえば「有馬記念」を「有
記念」と表記する。このゲームは、「ウマ娘」と呼ばれる、実在の競走馬を人間の女性に擬人化したキャラクターを育成し、レースでの勝利を目指すという内容であるが、公式の説明(『トゥインクル!Web』Vol.23)によると、2点の「
」はゲームの中でウマ娘が2本の脚で駆ける様から成り立っているという。
3本足の「馬」と2本足の「馬」が有る以上、1本足の「馬」もあるのか?筆者は残念ながらまだ見つけていない。もしご存じの方がいらっしゃったらぜひ教えてください。
次回「やっぱり漢字が好き57」は1月19日(月)公開予定です。
≪参考資料≫
阿辻哲次「あつじ所長の漢字漫談14 天高く馬肥ゆる秋」、日本漢字能力検定協会HP『漢字カフェ』、2017年10月31日
中国出土資料学会編『地下からの贈り物 新出土資料が語るいにしえの中国』、東方書店、2014年
季旭昇『説文新證』(2版)、芸文印書館、2014年
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能語の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。