歴史・文化

0を表す「〇」は漢字か?その2|やっぱり漢字が好き38

0を表す「〇」は漢字か?その2|やっぱり漢字が好き38

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
 

 前号では「〇」が漢字か否かという問題を検討するために、「〇」が漢字として認められるという観点と、認めがたいという観点をそれぞれ紹介した。今号ではもう一歩進んで0を表すもう1つの漢字「零」についても取り上げたい。

 現代中国では“〇”を“零”( リン、ピンイン:líng)で発音する。“零”は複数の意味を持つが、日本で刊行された中国語辞典である『中日辞典(第2版)』(小学館、2003年)から数に関わる語釈だけを挙げると、「零.ゼロ.無」「(数の空位を示す)けた数上のゼロ」といったものが見える。

 中国で刊行された『現代漢語詞典(第7版)』(商務印書館、2016年)も“零”に対し複数の語釈を掲載するが、その中から数に関わる部分を挙げると、1つには「数の空位、数字ではしばしば“〇”で書く」というものがあり、例として“三零一号”(301号)が示されている。また「数量がないことを表す」という語釈もあり、“一减一等于零”(110)が例に挙げられている。さらに「2つの数量の間に置かれ、より高い単位の量の下により低い単位の量が付随していることを示す」という語釈では、金額を表す“八元零二分”(82分)が例示されている。解説は総じて『中日辞典(第2版)』より詳細である。

 現代日本においても「零」は0を表す漢字として広く用いられ、「レイ」という音読みで「零度」「零時」などの語を形成する。しかし、この用法の歴史的展開を中国古典文献に遡って検証すると、「零」の原義は必ずしも0を表すものではなかった。

 「零」の本来の字義は「水滴」を表し、この意味から「端数」「断片」「ばらばらの」といった意味が派生したらしい。たとえば、南宋時代(1127年~1179年)の文献に「周六里半六十五歩」(周囲の長さが6里半と65歩)という記述が確認できる。ここでの「零」は整数単位である「里」に対する端数としての「歩」を導入する接続符号であると見なすこともできる。

 空位を示す際に「〇」および「零」の使用が一般化したのは元時代(1279年~1368年)であると言われる。当時の文献には「一千二十四」(1024)、「二百二十二万三百二」(2220302)等の表記が見られる。この数表記の成立背景には、主として二つの要因が想定される。第一に、前代からの算木による数表記における「〇」の使用の影響。第二に、当該期における中国とアラビア世界との頻繁な文化交流を通じて、アラビア数字が持続的に流入していた事実が挙げられる。これらの要因が相互に作用し、空位表記「〇」の定着を促進した。

 さらに注目すべきは、「〇」と「零」が空位表記として機能的に等価であった点である。この互換性が、「〇」という文字に「零」の発音を付与する素地となった。「〇」は遅くとも明王朝(1368年~1644年)の末期には「零」と同じ音で発音されるようになったと考えられる。このころにはさらに空位表記から進んで、一の位にも「〇」が用いられ始めた。たとえば10を「一〇」と表記する例が当時の数学書に見られる。

 数学的概念としての基数のzeroに「〇」および「零」が当てられるようになったのは、19世紀末のことである。このほか日本では中国に先んじて、基数のzeroに「〇」を当てており、それを中国側が取り入れたとの指摘もある。

 現代中国では、0を表す際に“〇”と“零”の双方が使用されている。国による公式の使用基準は、2011年に制定された『出版物上数字用法GB/T15835-2011』に示されている。同規定では、アラビア数字の0に対応する漢字表記として“〇”と“零”の2種類を認めており、その使い分けについて次のように定めている。「計量値を表す場合は“零を使用し、番号を示す場合は“〇”を使用する」。この規定の中では、“〇”は漢字の一つとして認められている。なおこの規定は実際の運用では必ずしも厳密には守られていないのが現状である。

 以上、「〇」と「零」の成立と発展についての概略を一瞥した。今号はここまでとする。次号では「〇」が漢字に属するか否かについて、筆者の私見を述べたい。

次回「やっぱり漢字が好き39」は2月21日(金)公開予定です。

≪参考資料≫

今泉潤太郎著・曲翰章訳「〇是漢字嗎?」、『語言教学与研究』1992年第1期
于立君「“〇”応当被認定為漢字」、『中国語文』1999年第6期
解竹「関於“〇”的争論及辞書収録建議」、『辞書研究』2021年第5期
史有為「“〇”是漢字嗎?」2020816
史有為「再談数字“〇”」「“〇”字規範再議」、2020年8月28日
舒宝璋「説“〇”」、『辞書研究』1991年第6期
中華人民共和国国家質量検験検疫総局・中国国家標準化管理委員会『出版物上数字用法GB/T15835-2011』、中国国家標準出版社、2011
唐建「説“〇”」、『漢語学習』1994年第2期
傅海倫「“0”、“零”、“〇”的起源与伝播」、『数学通報』2001年第8期

≪参考リンク≫

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≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

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