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新聞漢字あれこれ176 「冶」 難しい常用漢字です

新聞漢字あれこれ176 「冶」 難しい常用漢字です

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)

 

 

 

 難しい漢字と言えば、画数の多い複雑な字だと思いがちですが、必ずしもそうではありません。常用漢字でわずか7画の「冶」を読めなかったり、書けなかったりする人が少なくないのです。

 「冶」は2010年に常用漢字表が改定された際、追加された196字のうちのひとつ。人の才能などを育てる意味の「陶冶(とうや)」が、教育に関する文脈で用いられることが多いなどの理由から常用漢字に選ばれ、漢字表の音訓欄には「ヤ」が示されています。また、出現文字列頻度数調査で「鍛冶(かじ)」の用例が多かったこともあり、付表に「鍛冶」が入りました。

 実は日本経済新聞では表外字ではあったものの、以前から「冶」を特例として常用漢字と同等の扱いで紙面に使用していました。記事で金属の精錬・加工を表す「冶金(やきん)」が使われることから、関連部署の要望を受けて実施してきたものです。文化審議会国語分科会で常用漢字の改定が議論されるなか「冶」がその候補に挙がったときは、日経としては大歓迎だったわけですが、他社はあまり乗り気ではありませんでした。「難しい」という考え方が根強かったからです。

 その根拠のひとつが、2009年5~6月にNHKが実施した「全国高校3年生・漢字認識度調査」の結果でした。漢字の読みを試験形式で353問出題し、1万1494人から回答(解答)を得たもので、全国の全日制高校5046校からランダムサンプリング法で抽出し、47都道府県の301校が協力・参加しました。「冶」については「人格を陶冶する」という出題で、「とうや」と読めた正答はわずか1.4%。誤答が73.1%、無答が25.5%した。ちなみに誤答率としては「鹿の子(かのこ)」(79.4%)に次ぐワースト2位でした。

 最終的に「冶」は常用漢字表の本表に「ヤ」の音で入り、熟語の「鍛冶」が付表に入ったものの、新聞・放送界では「新聞用語懇談会が難読と判断、読み仮名を付けて使うことを決めた語」となりました。日経は引き続き通常の常用漢字の扱いとし、他社はルビを付けて表外字のように使用するなどと対応が分かれています。

新聞社などメディアでの「陶冶・冶金・鍛冶」の表記一覧表

 連載で何度か取り上げていますが、私が毎年担当している新人記者研修では「入力演習」を行っています。誤りやすい固有名詞を各自パソコンで入力させる問題の中に、上場企業の「日本冶金工業」を入れています。ある年の新人記者の正答率は86%。「治金」とする誤答や、「やきん」と読めないのか無解答もありました。高い正答率に見えますが、正しい文字列を見ながら入力させた結果なので、決して高いとは言えません。学生から社会人になったばかりの者にとっては、やはり難しい字であるのでしょう。

 難しくて使わないほうがよい字があれば、難しくても必要な字もあります。日経記者として知っておいてほしい「冶」。私が研修を担当しているうちは、新人記者に出題し続けることにします。


 


次回、新聞漢字あれこれ第177回は10月1日(水)に公開予定です。

≪参考資料≫

小板橋靖夫「高校3年生は,『新・常用漢字』をどのくらい読めるか(1)~『全国高校3年生・漢字認識度調査(11,000人回答)』集計報告」『放送研究と調査2009年10月号』2009年
小板橋靖夫/柴田実「高校3年生は,『新・常用漢字』をどのくらい読めるか(2)~『全国高校3年生・漢字認識度調査(11,000人回答)』分析報告」『放送研究と調査2009年11月号』2009年
『漢字関係参考資料集 出現文字列頻度数調査(下)』文化庁、2008年
『朝日新聞の用語の手引〔改訂新版〕』朝日新聞出版、2019年
『記者ハンドブック 第14版 新聞用字用語集』共同通信社、2022年
『産経ハンドブック 平成24年版』産経新聞社、2012年
『最新 用字用語ブック[第8版]』時事通信出版局、2023年
『NIKKEI用語の手引 2023年版』日本経済新聞社、2023年
『2025年版 毎日新聞用語集』毎日新聞社、2025年
『読売新聞 用字用語の手引 第7版』中央公論新社、2024年
『NHK 漢字表記辞典』NHK出版、2011年
『新聞用語集 2022年版』日本新聞協会、2022年

≪参考リンク≫

「日経校閲X」 はこちら

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≪著者紹介≫

小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『新聞・放送用語担当者完全編集 使える!用字用語辞典 第2版』(共編著、三省堂)、『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『方言漢字事典』(項目執筆、研究社)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。



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