四字熟語根掘り葉掘り40:「雨奇晴好」が生まれた場所?
著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)
京都の四条河原町の繁華街から、鴨川を渡って祇園に入ってすぐのあたりに、仲源寺というお寺があります。通称、目疾(めやみ)地蔵尊。目の病気に御利益があるというお地蔵さまをまつっているお寺です。
このお寺、その名前を頼りに四条通の雑踏を探して歩くと、下手をすると見落としてしまうかもしれません。なぜなら、山門の正面に掛かっている額、ふつうならばお寺の名前を大きく書いてあるところには、名前の代わりに「雨奇晴好」という4文字が、デンと鎮座しているからです。
「雨奇晴好(うきせいこう)」とは、11〜12世紀の中国の文人、蘇軾(そしょく)の詩句から生まれた四字熟語。ある湖の風景の美しさを、「晴れて方(まさ)に好く」「雨も亦(ま)た奇なり」とうたっています。ここでいう「奇」とは、〈すぐれている〉という意味です。
ここから、〈晴れでも雨でも風景がすばらしい〉ことを表す「晴好雨奇」という四字熟語が生まれました。その順番をひっくり返したのが、「雨奇晴好」。では、どうしてそんなことばが、仲源寺の山門に書いてあるのでしょうか?
実は、「雨奇晴好」には、もう1つの意味があります。それは、〈調子のいい時も調子の悪い時も、どちらも人生はすばらしい〉。元の意味を、人生に重ね合わせて解釈したもの。とすれば、仲源寺の山門に掲げてあるのも、目の病気に悩んで訪れる人に対するメッセージなのでしょう。
仲源寺の創建は古く、言い伝えによれば、鎌倉時代。なんでも、大雨を降りやませてくれたお地蔵さまをまつったのが、始まりだとか。「あめやみ地蔵」が変化して「めやみ地蔵」になったというわけで、「雨奇晴好」は、そのあたりの事情も踏まえた額なのでしょう。
では、この含蓄に富んだ額を書いたのは、だれなのか? そのあたりの情報は、残念ながら一切、見あたりません。ただ、志賀直哉の名作、『暗夜行路』の後篇第四の7に、「四条の額じゃないが、雨奇晴好位な気持かな」というセリフがあるので、この小説が書かれた昭和初期には、すでにこの額が掛かっていたことは確かです。
一方、江戸時代末、1864年に刊行された『花洛名勝図会』の「雨止地蔵尊」の項目には、この額に関する記述はありません。あるいは明治・大正の時代に書かれたものか、と想像されます。
ところで、手許にある使用例を見る限り、「雨奇晴好」を人生と重ねる解釈も、同じころに生まれたようです。そして、その初期の使用例は、いずれも、仲源寺の額と結びつけて語られています。
ひょっとすると、このお寺は、四字熟語の新しい解釈を生み出した場所なのかもしれません。
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)など。 また、東京の学習院さくらアカデミー、名古屋の栄中日文化センターにて、社会人向けの漢字や四字熟語の講座を開催中。 ただ今、最新刊『四字熟語ときあかし辞典』(研究社)に加え、編著の『小学館 故事成語を知る辞典』が好評発売中!
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筆者撮影(2018年3月29日)