新聞漢字あれこれ33 師走の「し」は風の意味

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
年末になると何かと気ぜわしくなってきますね。この時期になると新聞でもよく目にするのが、陰暦12月の異称「師走」です。「師が走る」のが慌ただしいイメージに合うのか、違和感なく使われているようです。
陰暦の月の異称といえば、古文の授業などで「睦月(1月)、如月(2月)、弥生(3月)……」と覚えた方もいらっしゃることと思います。現代の新聞での登場回数はそれほど多くはありませんが、「師走」だけが他の月と異なり普通に12月の意味で使われているように感じられます。2018年の1年間に日本経済新聞で陰暦月が登場した記事件数を見たところ、師走だけが突出して多くなっていました(月の異称のみ、他の固有名詞などは除く)。
この「師走」を広くなじみあるものにしているのが「師僧(師匠の僧)が年末の行事で忙しく東奔西走する月」とする解釈でしょう。これは平安時代の歌学書『奥義抄』(12世紀前半成立)にある「僧を迎へて仏名を行ひ、あるひは経読ませ、東西に馳せ走る故に『師馳せ月』と言ふを誤れり」からきています。師僧の馳せ走る様子から「師馳せ月」といい、転じて「師走」になったとされ、かなり定着した説です。
この有名な語源説に異を唱えるのが、東北大学の佐藤武義名誉教授です。『万葉集』にある「十二月には沫雪降ると知らねかも梅の花咲く含めらずして」(巻八・紀小鹿女郎)の「十二月」は音数から考えて「しはす(しわす)」と読むことになりますが、佐藤名誉教授は「万葉集のころは『師馳す』のような『漢語+和語』の混交表現はまだ一般的ではなく、それには早すぎる時代だ」と指摘します。他の月の異称を見ても師走のように、人間の行動を表しているものはなく、「生活の中や自然現象からきているものが主となっている」(同名誉教授)ことも根拠に挙げています。では「師走」はどこからきた言葉で、「師」は何を指すのでしょうか。
佐藤名誉教授は「師走」の「し」を「風」の意味だと考え、「風馳す」を「寒風の吹きすさぶ月」だとみています。確かに「嵐」の語源は「アラ(荒)+シ(風)」と見るのが通説とされていますし、「時雨(しぐれ)」や「旋風(つむじ)」なども「風」の意の「し(じ)」が含まれています。「しはす」の「し」を「風」とするのは語源辞典などに見られない説ですが、旧暦12月(現在の1~2月ごろ)の風の冷たさを考えると、思わず納得してしまいます。
語源はさておき、「師走」は常用漢字表の付表にも入っている、定着した表記となっています。「俗解による当て字だが表記と実感があいまって使用されている」(当て字・当て読み漢字表現辞典)こともあり、新聞に限らず今後も広く使われていくことになるでしょう。1年分の新聞記事から陰暦月の異称の使用例を調べた結果ですが、紙面からは固有名詞などとして、いろいろな使われ方が確認できました。主なものを紹介しますと、「弥生」は人名・地名・企業名・時代(弥生時代、弥生期)など、「葉月」は女性の名前、「水無月」は和菓子の名前がありました。興味深いのは競馬の「弥生賞」と「皐月賞」で、どちらも登場回数が多くあります。ちなみに「師走」は固有名詞での使用はなく、やはり12月の意味ですべて使われていました。
≪参考資料≫
片野達郎・佐藤武義『歌ことばの辞典』新潮選書、1997年
小松寿雄・鈴木英夫編『新明解語源辞典』三省堂、2011年
笹原宏之『当て字・当て読み漢字表現辞典』三省堂、2010年
佐藤武義『日本語の語源』明治書院、2003年
関根健一『なぜなに日本語』三省堂、2015年
高島俊男『お言葉ですが…⑦ 漢字語源の筋ちがい』文春文庫、2006年
前田富祺監修『日本語源大辞典』小学館、2005年
増井金典『日本語源広辞典[増補版]』ミネルヴァ書房、2012年
『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000~2002年
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。編集局 記事審査部次長、人材教育事業局 研修・解説委員などを経て2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 著書などに『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林 第四版』(編集協力、三省堂)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。