漢字コラム46「侯」儀礼の裏側に潜む権力社会

著者:前田安正(未來交創株式会社代表取締役)
今回は「侯」について。前回「候」で解説した中に出てくる「矦」をもう少し詳しくみていくことにします。
「侯」はもともと「矦」という形でした。それよりさらに古い形として描かれたのが「」です。「
」」は、布を張った幕を表す「厂」と「矢」でできています。これは弓を射るときの的をかたどったものだと言われています。それに人を表す「亻」を重ねたものが「矦」で、弓を射る人を表したものだという説があります。
中国の字書「説文解字」には「春の郷飲酒礼のときに射る的」と記されています。郷飲酒礼は中国の礼法の一つです。礼法には「冠礼・婚礼・喪礼・祭礼・郷飲酒礼・相見礼」の六礼があります。これらは、儒教経典の一つ「礼記」に記されています。郷飲酒礼は、諸侯を招いて酒席を設け、そこで矢を放って邪気を払い、善祥を招く儀式と言われています。
説文解字は、こう続けています。「天子は熊・虎・豹(ひょう)皮を射る。猛(たけ)きものを服従させるのだ。諸侯は熊・豚・虎皮を射る。大夫は麋(なれしか、おおじか)を射る、麋は迷惑を表すものである。士は鹿・豚皮を射る、耕作地の害を除くためだ」。
「天子に従順でない諸侯があってはならない。そのために汝ら(に見立てた獣の皮)を射る」とも書かれています。郷飲酒礼と言うと、一見のんびりした催しのように思えますが、その裏には厳しい権力社会が見て取れます。熊・虎・豹を射ることによって、諸侯の不義・不忠を牽制し、天子の力を誇示したのです。こうした儀礼は、歴然と格の差を意識させる装置としても機能していたのです。
≪参考リンク≫
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《参考資料》
「漢字の起原」(角川書店 加藤常賢著)
「漢字語源辞典」(學燈社 藤堂明保著)
「漢字語源語義辞典」(東京堂出版 加納喜光)
「言海」(ちくま学芸文庫 大槻文彦)
「学研 新漢和大字典」(学習研究社 普及版)
「全訳 漢辞海」(三省堂 第三版)
「漢字ときあかし辞典」(研究社、円満字二郎著)
「日本国語大辞典」(小学館)、「字通」(平凡社 白川静著)は、ジャパンナレッジ(インターネット辞書・事典検索サイト)を通して参照
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≪著者紹介≫
前田安正(まえだ・やすまさ)
文章コンサルティングファーム「未來交創株式会社」代表取締役。朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長。 早稲田大学卒業。事業構想大学院大学修了。1982年朝日新聞社入社。名古屋編集センター長補佐、大阪校閲センター長、用語幹事、東京本社校閲センター長などを経て、現職。 早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校、オンライン学習サイトSchoo(スクー)で文章教室を担当、自治体や企業の広報研修などにも多く出講。 主な著書に『漢字んな話』『漢字んな話2』(以上、三省堂)、『きっちり!恥ずかしくない!文章が書ける』『「なぜ」と「どうして」を押さえて しっかり!まとまった!文章を書く』『間違えやすい日本語』(以上、すばる舎)。2017年4月発売の『マジ文章書けないんだけど』(大和書房)は8.5万部を突破。6月に『3行しか書けない人のための文章教室』(朝日新聞出版)を発売。2018年7月に『クレオとパトラのなんでナンデさくぶん』(大和書房)、2019年2月『ヤバいほど日本語知らないんだけど』(朝日新聞出版)を発売。 一部地域を除き、4月から朝日新聞土曜夕刊にコラム「あのとき」を連載(マジ文ラボからも読めます) 。 前田安正オフィシャルサイト「マジ文ラボ」はこちら