四字熟語根掘り葉掘り56:「閑雲孤鶴」はこの国にはおれぬ!

著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)
約300年に及ぶ繁栄を誇った唐王朝が滅亡したのは、907年のこと。その後の中国は、北部では5つの王朝が興亡をくり返し、南部では10の王国が割拠する分裂時代を迎えます。いわゆる「五代十国」の時代です。
このうち、「十国」の1つ、呉越を起こしたのは、錢鏐(せんりゅう)という人物。現在の浙江省を中心にした14の州を支配下に収め、混乱の時代に民政に力を注いだ有能な政治家として知られています。
彼がまだ王を名乗る前、余命いくばくもない唐王朝の下で事実上の独立政権として活動していたある時のこと、一人の僧が面会を求めてやってきました。その名は、貫休(かんきゅう)。詩・書・画にすぐれた文人僧として知られたお坊さんで、その筆になる特異な風貌の羅漢図は、現在まで伝えられています。
錢鏐のところへやってきた貫休は、いかにも文人僧らしく、名刺代わりに1篇の詩を差し出します。その中に、次のような一節がありました。
満堂の花は酔はしむ三千の客
一剣の霜は寒からしむ十四州
お屋敷いっぱいに咲き誇る花が大勢の人々を楽しませる一方、たった1本の剣で14もの州を支配下に収める。貫休は、民事と武事の両方で功績を挙げている錢鏐に対して、このようなあいさつを放って、暗にパトロンになってくれと頼んだのです。
しかし、取り次ぎ役を通じてこの詩を受け取った錢鏐は、素直にうんとは言いませんでした。「十四州」を「四十州」に直せば面会してもよい、と答えたのです。
それを聞いた貫休は、「州の数は増やせませんし、詩の文句も変えられません」と応じます。そして、「そもそも私は閑雲孤鶴(かんうんこかく)、どこの国の空にだって飛んでいけるのです」と言って、別の国へと立ち去ってしまったのでした。
ここに出て来る「閑雲孤鶴」とは、文字通りには〈のどかな雲が浮かぶ空を飛ぶ、1羽の鶴〉のこと。この話を受けて、〈なんの束縛もうけないで自由に生きる〉ことのたとえとして、四字熟語として使われるようになりました。
いつの時代でも、芸術家はだれかの助けがなくては食ってはいけません。かといって、権力に屈してしまっては、芸術家の名がすたります。貫休さんは、そのことをよくわかっていたのでしょう。
一方の錢鏐さんは、支配地域の広さについて見栄を張ろうとしたがために、有名な芸術家のパトロンになる機会を失ってしまったという次第。彼だって、芸術をまったく解しない無骨者というわけではなかったようです。たまたま酔っ払っていたのか、虫のいどころが悪かったのか……。きっと、あとになってひどく後悔したことでしょうね。
≪参考リンク≫
≪おすすめ記事≫
四字熟語根掘り葉掘り41:「猫鼠同眠」とマジメすぎる官僚 はこちら
四字熟語根掘り葉掘り51:「雲外蒼天」の由来を探る はこちら
≪著者紹介≫
円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)など。 また、東京の学習院さくらアカデミー、NHK文化センター青山教室、名古屋の栄中日文化センターにて、社会人向けの漢字や四字熟語の講座を開催中。 最新刊、『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』(岩波書店)が2月21日に発売。
●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/
≪記事画像≫
貫休筆『十六羅漢図』より(「中国語版Wikipedia」https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%AB%E4%BC%91)