四字熟語

四字熟語根掘り葉掘り61:ほろ酔い気分で「黒甜郷裏」へ

四字熟語根掘り葉掘り61:ほろ酔い気分で「黒甜郷裏」へ

著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)

 ゴールデン・ウィークなのに外出自粛。しかたないので家でゴロゴロしていると、いつのまにやらすやすやと夢の世界へ……。なんていう方も、多いのではないでしょうか。

 そういう状態のことを、「黒甜郷裏(こくてんきょうり)に遊ぶ」などと表現することがあります。「甜」とは、中華の調味料の名前「甜麵醬(テンメンジャン)」にも使われているように、〈甘い〉という意味。「郷」は、ここでは「理想郷」「桃源郷」のように、〈小さな世界〉を指す用法。「裏」は、「裡」と書かれることも多く、〈内側、中〉を表します。

 つまり、「黒甜郷裏」とは、〈黒くて甘い小さな世界の中〉ということ。心地よく眠っている状態のたとえとして用いられます。

 「黒甜」の二文字で心地よい眠りを表すのは、もともとは中国の方言。11世紀に活躍した文人、蘇軾(そしょく)の漢詩に、次のような一節があります。

  三杯 軟飽(なんぽう)の後
  一枕(いっちん) 黒甜の余

 蘇軾が自ら付けた注によれば、中国の南部、現在の浙江省あたりの方言では、お酒のことを「軟飽」と、眠りのことを「黒甜」と言うのだとか。お酒を三杯飲んでの一眠り、さぞかし心地よかったことでしょう。

 「黒甜郷裏」は、この詩句を下敷きにして生まれた四字熟語なのでしょう。ただ、中国の文献をいろいろと調べてみても、四字熟語として見つかるのは「黒甜一枕」や「黒甜一覚」くらい。「黒甜郷」は出てきますが、それに「裏」を付け足した「黒甜郷裏」には、なかなかめぐり合うことができません。

 ただ、「黒甜郷」という3文字は、ほどなく日本にも伝わりました。15世紀から16世紀の戦国時代を生きた、臨済宗の月舟寿桂(げっしゅうじゅけい)というお坊さんは、その詩文集でこのことばを多用しています。そして、その中の3例では、「裏」の1文字までくっつけて使っているのです。

 その1つ、「春夢」という漢詩の一節をご紹介しておきましょう。

  黒甜郷裏 身を寄する時
  春院 人無し 簾影(れんえい)の後

 春の寺院の簾の奥で、だれもいないのをいいことにお昼寝をしているとでもいうのでしょうか……。

 このお坊さんが「黒甜郷裏」という表現の生みの親なのかどうかは、わかりません。ただ、この四字熟語は、中国での「黒甜」の使い方を踏まえて、日本で生み出されたものである可能性が高いと思います。

 こういう例を見ていると、中国由来の文化と日本独自の文化を切り分けるのはむずかしいな、と感じます。両者の間を無理に境界線を引こうとせず、ひとづつきのものとして考えることこそが、漢字文化に対する適切な向き合い方なのでしょうね。

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「黒」を調べよう
漢字ペディアで「甜」を調べよう
漢字ペディアで「郷」を調べよう
漢字ペディアで「裏」を調べよう

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≪著者紹介≫

円満字二郎(えんまんじ じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)、『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』(岩波書店)など。
●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/

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