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四字熟語根掘り葉掘り67:「袖手傍観」と同情のまなざし
2020.07.27
映画化もされて話題になった冲方丁さんの小説、『天地明察』に、次のような一節があります。
「他藩が幕府の意向を待って鎮圧に協力せず、対岸の火事として袖手傍観の態度を取ったことが、一揆を叛乱にまで成長せしめた第一原因だったのである。」
ここに使われている「袖手傍観(しゅうしゅぼうかん)」とは、文字通りには〈手を袖の中に引っ込めたまま、そばで見ている〉こと。この一節でもそうですが、〈何もしないで見ている〉ことを批判して用いるのが、一般的です。
とはいえ、そういう批判的なニュアンスを「袖手傍観」が元から表していたのかというと、そうでもありません。なぜなら、この四字熟語の元になった文章では、「袖手」と「傍観」がちょっと異なる文脈で使われているからです。
その文章とは、8〜9世紀の中国の文人、韓愈(かんゆ)が、柳宗元(りゅうそうげん)に捧げた弔辞。柳宗元は、韓愈の同志であり、またライバルでもありました。ただ、韓愈が左遷の憂き目を見つつも中央政界に返り咲き、当時の文壇に君臨したのに対して、柳宗元は、ありあまる才能を持ちながらも、政争に敗れて流罪となったまま、辺境の官僚として生涯を終えています。
そのように、才能を十分に発揮する場を与えられなかった柳宗元のことを、韓愈は弔辞の中で、熟練の技を持つ匠にたとえています。下手な職人が手に怪我をしながら額に汗して働いているのに、その匠は仕事を与えられず、「旁観(旁は傍と同じ)して手を袖の間に縮め」ているしかなかった、というのです。
この文章は弔辞ですから、ここにこめられているのは、批判ではなく同情でしょう。「袖手傍観」とは、もともとは〈何もさせてもらえないで、見ているしかない〉という状況を、同情を込めて表す表現だったのです。
それが、現在では批判に重きを置いて使われているのは、「袖手」という熟語のイメージに原因があるのでしょう。現在でも、ポケットに手を突っ込んだまま人の話を聞いていたりすると、何かと反感を買うものですよね。
柳宗元は、辺境の地で数々の名文と優れた漢詩をものして、文学者として不朽の名声を後世に遺しました。意に沿わぬ運命を砥石として、自らの才能を磨き上げたのです。
とすれば、匠が「手を袖の間に縮め」ていたのは、下手な職人とは違って、自らの指を傷つけないためだったのではないでしょうか。韓愈が袖の中の手を通して描きたかったのは、ふてくされた気持ちなどではなく、自分の才能を大切にしてけっしてくじけることのない、強い意志だったように思われます。
<参考リンク>
漢字ペディアで「袖手傍観」を調べよう
<おすすめ記事>
四字熟語根掘り葉掘り13:捨てがたかった「勇気百倍」 はこちら
四字熟語根掘り葉掘り15:思い込んだら「拱手傍観」 はこちら
<著者紹介>
円満字二郎(えんまんじ じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)、『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』(岩波書店)など。 ●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/
〈記事画像〉柳宗元像(歴代古人像賛)
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