日常に“学び”をプラス 漢字カフェ

  • コラム
  • 歴史・文化

漢字コラム47「蟬」両羽で鳴くもの?

2020.09.30

漢字コラム47「蟬」両羽で鳴くもの?

 架空の海坂藩が舞台の時代小説『蟬しぐれ』。藤沢周平の代表作です。下級武士家に生まれた牧文四郎の成長物語が中心に展開されます。物語に添うように語られる幼なじみ福との淡い恋。蟬時雨が哀愁を演出します。盛夏の喧噪(けんそう)をもたらす鳴き声とともに、もの悲しさを醸し出す蟬について、調べてみました。

 セミは「蟬」と書き、「セン」「ゼン」という音を持ちます。この音を担うのが「單」の部分です。これは「単」の旧字体です。「単」は「タン」という音を表すだけではなかったのです。「戦=セン」や「禅=ゼン」の例を見れば、わかるかと思います。

 「蟬」は「單」に「虫」がついたものです。「虫」は生き物全般を表します。中国の字書「説文解字」には「両羽で鳴くもの」とあります。まるで鈴虫やコオロギを説明しているようです。蟬がどうやって鳴くのかを知らなかったとも思えないのですが……。「説文解字」を編纂(へんさん)した後漢の許慎は、蟬に興味がなかったのでしょうか

 面白いことに、「説文解字」には「單」は「大きい」という意味だと記されています。「一つであるさま」「孤独であるさま」「弱々しい」「複雑でない」という、私たちが通常理解している「單」の意味とは、異なる解釈です。科学的な根拠がないというおしかりを受けるかもしれませんが、「單」が蟬の「大きな鳴き声」を象徴していたかもしれないと想像を膨らませることもできるかもしれません。 

 「蜩(チョウ)」もセミという字です。「大きいセミ、クマゼミ」だと辞書にあります。「大きい」とあるのに、「單」は使われていません。類語などを取り上げている字書「()雅(じが)」の注釈書には「小さな青い蟬」とあります。ここでは「小さい」という解釈です。日本では「()蜩(ぼうちょう)」や「蜩」を「ひぐらし」と読むようになりました。平安中期の漢和辞書「倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」には「茅蜩」を「比久良之」と記しています。

 「蜩」は古くから日本の文学にも親しまれてきました。『万葉集』には、夏の雑歌として大伴家持(やかもち)が「隠(こも)りのみ居(を)ればいぶせみ慰むと出(い)()で立ち聞けば来鳴くひぐらし」(巻8)と詠んでいます。『古今集』には秋の情景として「ひぐらしの鳴く山里の夕暮は風よりほかに訪(と)ふ人もなし」(詠み人知らず)などがうたわれています。『源氏物語』の中でも「幻(まぼろし)」では夏に、「宿木(やどりぎ)」では秋の場面に登場しています。文学的にも季節のあわいを埋める重要な役割があったのでしょう。ちなみに季語としては、蟬は夏、蜩はツクツクボウシとともに秋です。

 蟬はカゲロウとともに、はかない命の代名詞になっています。「空しい」という意味を持つ「うつせみ(空蟬)」は、もとは「うつしおみ(顕臣)」と言い「この世に生きている人」という意味でした。音韻の変化に伴い「顕臣→空蟬」となり、蟬の抜け殻のイメージが重なって意味も変質したのです。

 蟬の命は成虫になってから10~20日くらいですが、幼虫期は地中で数年から17年ほど過ごします。蟬の一生を通してみると案外長いのです。一方のカゲロウは、幼虫期間は1~3年程度、成虫は数時間から1日だそうです。蟬よりよほどはかない生き物なのです。その名の由来は、成虫がゆらゆら飛び交うさまが、陽炎に似ているからとも言われています。

《参考リンク》
漢字ペディアで「蟬」を調べよう。
漢字ペディアで「蜩」を調べよう。

《おすすめの記事》
漢字コラム13「戦」地をはらって平らかにする はこちら
漢字コラム38「虫」鳥も亀も魚も人も、みんなムシなんだ はこちら

《参考資料》
「漢字の起原」(角川書店 加藤常賢著) 
「漢字語源辞典」(學燈社 藤堂明保著)
「漢字語源語義辞典」(東京堂出版 加納喜光)
「言海」(ちくま学芸文庫 大槻文彦)
「学研 新漢和大字典」(学習研究社 普及版)
「全訳 漢辞海」(三省堂 第三版)
「漢字ときあかし辞典」(研究社、円満字二郎著)
「日本国語大辞典」(小学館)、「字通」(平凡社 白川静著)は、ジャパンナレッジ(インターネット辞書・事典検索サイト)を通して参照
前田安正オフィシャルサイト「ことばデザインワークス・マジ文ラボ」https://kotoba-design.jp/

《著者紹介》
前田安正(まえだ・やすまさ)
未來交創株式会社代表取締役/ビジョンクリエイター/文筆家
玉川大学文学部非常勤講師
朝日新聞校閲メディアプロダクション校閲事業部長
早稲田大学卒業、事業構想大学院大学修了
82年朝日新聞社入社、名古屋編集センター長補佐、大阪校閲センターマネジャー、用語幹事、校閲センター長、編集担当補佐兼経営企画担当補佐などを歴任。「漢字んな話」「漢話字典」「ことばのたまゆら」「あのとき」など、十数年にわたり朝日新聞に漢字や日本語に関するコラム・エッセイを毎週連載。
2019年文章コンサルティングファーム未來交創株式会社を立ち上げ、わかりやすい文章の書き方、コミュニケーションの楽しさを伝える仕事をしている。「文章の書き方・直し方」など、企業・自治体の広報文の研修に多数出講。テレビ・ラジオ・雑誌・ネットなどのメディアにも数多く登場している。
《著書》
9.1万部を超えた『マジ文章書けないんだけど』(2017年・大和書房/19年・台湾で翻訳出版)を始め、
2010年『漢字んな話』、12年『漢字んな話2』(三省堂)
2013年『きっちり!恥ずかしくない!文章が書ける』(すばる舎/19年・韓国で翻訳出版)
2014年『間違えやすい日本語』(すばる舎)
2015年『しっかり!まとまった!文章を書く』(すばる舎)
2017年『3行しか書けない人のための文章教室』(朝日新聞出版)
2018年『クレオとパトラのなんでナンデさくぶん』(大和書房/20年・中国で翻訳出版予定)
2019年『ヤバいほど日本語知らないんだけど』(朝日新聞出版)
2020年『ほめ本』(ぱる出版)、『きっちり!恥ずかしくない!文章が書ける』(朝日文庫)、『使える!用字用語辞典』(共著・三省堂)
などがある。

続きを見る

  • twitter
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • LINE
  • google+

コラム

  • 新聞漢字あれこれ82 誤読で起こるミスいろいろ

    新聞漢字あれこれ82 誤読で起こるミスいろいろ

     パソコンで記事を作成すれば、キーボードの打ち間違…

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ81 審判は試合をどうサバく?

    新聞漢字あれこれ81 審判は試合をどうサバく?

     職業柄、漢字の使い分けで迷ったり悩んだりすること…

    記事を読む

  • 四字熟語根掘り葉掘り100:「竜頭蛇尾」では修行が足りない!

    四字熟語根掘り葉掘り100:「竜頭蛇尾」では修行が足りない…

     ことばの何をおもしろいと感じるかは、人によって違…

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ80 誤字の原因を探っていくと…

    新聞漢字あれこれ80 誤字の原因を探っていくと…

     校閲記者を長く続けていて思うのは、文字情報のある…

    記事を読む

  • 四字熟語根掘り葉掘り99:天翔る魔女と「先憂後楽」

    四字熟語根掘り葉掘り99:天翔る魔女と「先憂後楽」

     先日、イギリスのある刑事ドラマを見ていたら、タッ…

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ79 「足」と「脚」 使い分けの線引きは…

    新聞漢字あれこれ79 「足」と「脚」 使い分けの線引きは…

     「ちょっと、この記事の『足』は『脚』でしょ!」「…

    記事を読む

コラム記事一覧へ

歴史・文化

  • 漢字コラム49「筆」 聿、不律、弗…お国が違えば字も違う

    漢字コラム49「筆」 聿、不律、弗…お国が違えば字も違う

      まゝごとの飯もおさいも土筆かな  高浜虚子の次…

    記事を読む

  • 漢字コラム48「創」 「傷をつける」は「創造」の始まり?

    漢字コラム48「創」 「傷をつける」は「創造」の始まり?

     「新しいものを独自の考えや技術を使って初めてつく…

    記事を読む

  • 常用漢字表改定から10年、追加字はどう浸透した?~令和元年度「国語に関する世論調査」結果より~

    常用漢字表改定から10年、追加字はどう浸透した?~令和元年…

     こんにちは、漢字カフェ担当のキンスケです。  …

    記事を読む

  • 円満字さんによるオンライン連続講座が開講!

    円満字さんによるオンライン連続講座が開講!

     こんにちは、漢字カフェ担当のキンスケです。 漢字…

    記事を読む

  • 漢字コラム47「蟬」両羽で鳴くもの?

    漢字コラム47「蟬」両羽で鳴くもの?

     架空の海坂藩が舞台の時代小説『蟬しぐれ』。藤沢周…

    記事を読む

  • 漢字コラム46「侯」儀礼の裏側に潜む権力社会

    漢字コラム46「侯」儀礼の裏側に潜む権力社会

     今回は「侯」について。前回「候」で解説した中に出…

    記事を読む

歴史・文化記事一覧へ

PR記事
  • 2021年「今年の漢字」12月6日まで募集中!今年の世相、どんなかんじ?

    2021年「今年の漢字」12月6日まで募集中!今年…

    記事を読む

  • 2020年「今年の漢字」こぼれ話(後編)似ている漢字に要注意!

    2020年「今年の漢字」こぼれ話(後編)似ている漢…

    記事を読む

  • 2020年「今年の漢字」こぼれ話(前編)2020年は「初」だらけ!

    2020年「今年の漢字」こぼれ話(前編)2020年…

    記事を読む

  • 2020年「今年の漢字」募集開始!団体データ応募も

    2020年「今年の漢字」募集開始!団体データ応募も

    記事を読む

  • 「令和」だけじゃない! 2019年「今年の漢字」の「令」は、○○の「令」

    「令和」だけじゃない! 2019年「今年の漢字」の…

    記事を読む

最新記事
  • 漢検準1級配当漢字をなぞ解きで学ぼう!第43問

    漢検準1級配当漢字をなぞ解きで学ぼう!第43問

    記事を読む

  • 漢検準1級配当漢字をなぞ解きで学ぼう!第42問

    漢検準1級配当漢字をなぞ解きで学ぼう!第42問

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ82 誤読で起こるミスいろいろ

    新聞漢字あれこれ82 誤読で起こるミスいろいろ

    記事を読む

  • 2021年「今年の漢字」12月6日まで募集中!今年の世相、どんなかんじ?

    2021年「今年の漢字」12月6日まで募集中!今年の世相、…

    記事を読む

  • 漢検準1級配当漢字をなぞ解きで学ぼう!第41問

    漢検準1級配当漢字をなぞ解きで学ぼう!第41問

    記事を読む

  • 漢検準1級配当漢字をなぞ解きで学ぼう!第40問

    漢検準1級配当漢字をなぞ解きで学ぼう!第40問

    記事を読む

  • 新聞漢字あれこれ81 審判は試合をどうサバく?

    新聞漢字あれこれ81 審判は試合をどうサバく?

    記事を読む

  • 四字熟語根掘り葉掘り100:「竜頭蛇尾」では修行が足りない!

    四字熟語根掘り葉掘り100:「竜頭蛇尾」では修行が足りない…

    記事を読む

  • 漢検準1級配当漢字をなぞ解きで学ぼう!第39問

    漢検準1級配当漢字をなぞ解きで学ぼう!第39問

    記事を読む

  • 漢字ミュージアム来館者40万人突破!『今年の漢字展』も開催

    漢字ミュージアム来館者40万人突破!『今年の漢字展』も開催

    記事を読む

記事カテゴリ
  • 公益財団法人 日本漢字能力検定協会
  • 漢字を調べるなら漢字ぺディア
  • 日本漢字学会(JSCCC)
  • メールマガジンのご登録

ページトップへ

Copyright(c) 公益財団法人 日本漢字能力検定協会 All Rights Reserved.