四字熟語

四字熟語根掘り葉掘り74:「急転直下」と落ちていく意識

四字熟語根掘り葉掘り74:「急転直下」と落ちていく意識

著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)

 私は行ったことはないのですが、中国の廬山(ろざん)という山には、立派な滝があるそうです。かの大詩人、李白は、その滝の雄壮な姿を次のようにうたいました。

  飛流 直下 三千尺
  疑うらくは是(こ)れ 九天より落つるかと

 「尺」とは長さの単位で、当時の1尺は30センチ強。3000尺、つまり900メートル以上の高さから真っ直ぐに流れ落ちてくるというのは、李白さんお得意の大げさな表現。加えて、その水は「九天」つまり天上の世界から落ちてきているんじゃないかと、さらにオーバーに驚いてみせています。

 さて、今回のテーマは、この詩句と「急転直下」という四字熟語には関係があるのかないのか、ということ。なぜそんなことを気にするのかといえば、「急転直下」と読み方が同じ「九天直下」という四字熟語も存在していて、昭和の初めごろまではけっこう使われていたからです。

 「九天直下」の典型的な使用場面は、株価の暴落。〈高いところからまっさかさまに落ちる〉という意味合いです。さらに、1928(昭和3)年12月16日付の『読売新聞』には、当時の東京市の市長について「市長の運命も九天直下か」とありますから、広く〈急激に落ち目になる〉場合に用いられたようです。「直下」ということばの意味を考えれば、当然の使い方だといえましょう。

 一方、「急転直下」の歴史は意外と浅く、私が知っている限り、使用例が認められるのは明治の終わりごろから。1908(明治41)年に夏目漱石が発表した長編小説『三四郎』では、「文壇は急転直下の勢いでめざましい革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから」と使われています。

 この漱石の使用例には、〈落ちていく〉という意識は見られません。むしろ、〈急激に〉というニュアンスが前面に出ています。全般的に見て、「九天直下」では「直下」に重きが置かれているのに対して、「急転直下」では「急転」の方に意味の中心が移っているように思われます。

 「九天直下」は、もともと〈落ちていく〉というイメージで使われていたのでしょう。それが、やがてその〈急激な勢い〉の方に重点を置いて、必ずしも〈落ちていく〉わけではない文脈で使ってみようと考えたときに、〈急激な勢い〉を連想させやすい「急転直下」と書かれるようになったのではないでしょうか。

 現在の「急転直下」は、〈事態が急に変化して、決着がつく〉場合に使われます。これは、下方向への移動を表す「直下」に、改めて〈事態が落ち着く〉という意味合いを見出したものでしょう。「急転直下」は「九天直下」から生み出された四字熟語なのでしょうが、「直下」の意味合いはだいぶ異なるのです。

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「急転直下」を調べよう

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≪著者紹介≫

円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)、『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』(岩波書店)など。
●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/

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trikehawks/ PIXTA(ピクスタ)(中国貴州省・黄果樹瀑布)

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