四字熟語

四字熟語根掘り葉掘り87:若き天才の「奇想天外」な漢詩

四字熟語根掘り葉掘り87:若き天才の「奇想天外」な漢詩

著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)

 2017年に亡くなった直木賞作家、葉室麟(はむろ・りん)さんに、『雨と詩人と落花と』(徳間文庫)という歴史小説があります。主人公は、江戸時代の漢詩人、広瀬旭荘(ひろせ・きょくそう)。派手さはないかもしれませんが、日本の漢字文化に興味を持つ人間にとっては、見逃せない作品です。

 その冒頭近くに、こんな場面があります。若くして詩才をうたわれた旭荘は、17歳のとき、子どもを亡くして沈み込んでいる漢詩の先生を慰めるため、ある漢詩を作って贈ります。すると、それを読んだ師匠が、その詩句を「奇想天ヨリ落チ来タル」と評したというのです。

 「奇想」は、現在では〈奇抜な発想〉という意味でよく用いられますが、「奇」には〈とてもすぐれている〉という意味もあります。ここでの「奇想」も、〈とてもすぐれた発想〉。旭荘の漢詩は、〈まるで天界から落ちてきたもののようにすぐれている〉と師匠に絶賛されたのです。

 このシーンを読んだとき、私はページをめくる手を止めて、はたと考え込んでしまいました。「奇想天外(きそうてんがい)」という四字熟語が、「奇想天外より落つ」や「奇想天外より来たる」といった表現の省略形であることは、もろもろの辞書に説明があります。しかし、これらの表現が何に由来するのかという点になると、どの辞書にも記載がないのです。

 私の知る限り、中国の文献にも、「奇想天外より落つ/来たる」といった表現は見あたりません。もし、この小説のこの場面が史実なのであれば、「奇想天外」の由来に光を当てるものになるのではないでしょうか?

 調べてみると、くだんの漢詩は広瀬旭荘の詩集、『梅墩詩鈔(ばいとんししょう)』に収録されていて、そこには先生の評が漢文で「奇想自天落来」と付記されていることがわかりました。その詩は、1823(文政6)年の作。あの場面は葉室さんの創作ではなく、史実だったのです。

 そこでさらに調べてみたところ、1852(嘉永5)年に刊行された『鉏雨亭随筆(そうていずいひつ)』という本の中にも、中国のある詩に対する論評として、「奇想自天外落」という表現が使われていました。明治に入ると、やはり漢詩に対する批評の中に、「奇想自天外来」「奇想自天外落」などとあるのをいくつか見つけることができます。

 「奇想天外より落つ/来たる」は、江戸時代から明治時代にかけての漢詩の世界で、着想をほめる際の定番だったのでしょう。そういう風流な世界の表現が、現在ではその由来をすっかり忘れ去られて、〈奇抜である〉という意味にばかり重点を置いて使われているわけです。ことばの移り変わりとは、おもしろいものですね。

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「奇想天外」を調べよう

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≪著者紹介≫

円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)、『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』(岩波書店)など。最新刊『難読漢字の奥義書』(草思社)が発売中。
●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/

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