歴史・文化

やっぱり漢字が好き13  時には野球の話を① 変化球の呼び方(下)

やっぱり漢字が好き13  時には野球の話を① 変化球の呼び方(下)

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)

 前々号「時には野球の話を(上)」と前号「時には野球の話を(中)」では、野球で用いられる主要な変化球が、台湾でどのように訳されているかを見てきたわけだが、総じて言えば、意訳されることが多く、たとえ音訳されたものでも、別称として意訳が用意されていることが分かる。この点、日本の変化球の名称とは大違いである。なお、前号までの内容を簡潔にまとめると以下のようになる。

日本での呼称     台湾での変化球の呼称

           意訳            音訳


カーブ        曲球             ―

スライダー      滑球             ―

フォーク       指叉球            ―

カットボール     切球       卡特球(kǎtè qiú/カァトァチウ)

シンカー       沉球       伸卡球(shēnkǎ qiú/シェンカァチウ)



 そもそもある言語が外来語を受け入れるとき、最も簡単な方法は、外来語の音をそのまま自分たちの言語の発音体系に合わせて発音しつつ、文字化の際には、それを表音文字でつづる、というやり方である。現代日本語の書記体系には仮名文字(ひらがな、カタカナ)という表音文字があるので、他言語から受容した単語の音を、そのまま自らの言語の発音体系に沿うように調整しつつ(たとえば“radio”[réɪdiòʊ]を「ラジオ」と発音するように)、それを仮名文字(多くはカタカナ)に転写することで、それが外来語として成立する。したがって日本語には、「ラジオ、ベッド、カーテン、ピザ、スマートフォン」などの音訳外来語が多い。

 しかし、中国語は一音節ごとに何らかの意味が伴う言語であり、なおかつ、その書記体系である漢字は表音文字ではなく、多くの場合一つ一つの文字に意味が含まれる。いわゆる「表語文字」と呼ばれる文字類型である。このような特徴を有する言語や文字類型が外来語を受け入れる際には、何かと困難がつきまとう。たとえば、中国語ネイティブが、漢字を用いて音訳された外来語に出くわしたとき、もしそれが外来語であることを知らなければ、いたずらに漢字の意味を読み取ってしまうことである。すなわち外来語を外来語であると理解するには、その原語を理解する素地がなければならないのである。

 事実、中国語圏では外来語を受容するとき、第一段階では音訳が現れるものの、のちに意訳に取って代わられることが多い。言い換えれば、外来語を最後には「中国語化」させるのである。たとえば、

       

カメラ

 音訳:“开麦拉”(kāimàilā/カイマイラァ)
        ↓
 意訳:“照相机”(zhàoxiàngjī/ヂャオシアンジィ、意味:写真を映す機械)

電話(テレフォン)

 音訳:“德律风”(délǜfēng/ドァリュフォン)
       ↓
 意訳:“电话”(diànhuà/ディエンホア、意味:電話)

 台湾の野球用語に意訳が多いのも、中国語や漢字のこのような特性に由来する。

 ただし、ふさわしい意訳がない場合は音訳がそのまま定着することもある。たとえば、

 ソファー:“沙发”(shāfā/シャアファア)

 コーヒー:“咖啡”(kāfēi/カァフェイ)

 今回は野球用語の中でも変化球のみを取り上げたが、台湾では日本起源の野球用語を用いることも多い。たとえば、“安打”、“暴投”、“捕手”など。これも台湾から見れば一種の外来語と言える。

 最後に。球種の中に、「イーファス」と呼ばれる変化球がある。英語では“eephus pitch”(イーファスピッチ)と言う。山なりの軌道を描く超スローボールで、元日本ハムファイターズの投手多田野数人氏や、現日本ハムファイターズの投手伊藤大海選手の持ち球である。これを台湾では“小便球”(xiǎobiàn qiú/シアオビエンチウ)と呼ぶそうだ。なんともあられもない呼称であるが、ボールの山なりの軌道を“小便”が出る軌道に喩えたものか。

 なおメジャーリーグの公式サイト『MLB.com』によると、イーファスを最初に操ったのはパイレーツのピッチャーであったシーウェルであるという。“eephus”という名称の名付け親は、シーウェルの同僚であったヴァン・ロベイズで、ロベイズはヘブライ語で「何でもない」という意味を表す“efes”という単語から採ったとのことである。

次回、やっぱり漢字が好き第14回は10月2日(月)に公開予定です。

≪参考資料≫

・荒川清秀「中国における外来語受容の歴史的・地域的変異」、陣内正敬・田中牧郎・相澤正夫編『外来語研究の新展開』、おうふう、2012年
・戸内俊介「漢語と外来語」、『講座 近代日本と漢学 第7巻 漢学と日本語』、戎光祥出版、2020年

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≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

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