歴史・文化

戦後漢字史の片隅に消えた文字【上】|やっぱり漢字が好き58

戦後漢字史の片隅に消えた文字【上】|やっぱり漢字が好き58

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
 

 

 島根県浜田市へ出張に行った際に、見慣れぬ漢字を目にしたので紹介したい。

写真1(筆者撮影)



 上の写真1は閉店した店舗の看板である。上段の文字は「現金正価」と読むのであろうが、「価」が「亻」と「西」からなる「」で記されている。多くの人にとって馴染みのない字体であろう。もっとも、次号以降で指摘するように、この異体字は戦後の一時期、流行した字体であり、年配の方の中には見覚えがあるという人もいるかもしれない。

 筆者はこの「」字の成立と展開について初歩的な調査を行った。今号から3回わたり、筆者の調査結果をご覧に入れたい。


 「価」は旧字体では「價」と書く。「價」は1946年に内閣によって告示された「当用漢字表」に採用され、その後、1949年4月に公布された「当用漢字字体表」に、「価」という新字体で掲載された。「当用漢字字体表」が正字として採用した新字体は、筆写(手書き)の慣用の中から選定された簡易字体であり、これ以降、中国の『康熙字典』(1716年)に由来する従来の字体(いわゆる康熙字典体)は旧字体と呼ばれるようになった。

 この後、日本では徐々に「價」が用いられなくなり、「価」が用いられるようになる。それでは「價」でも「価」でもない「」はどこから来て、そしてどこに行ってしまったのであろうか。以下、この疑問を解き明かすために、さしあたり次の2つの調査をおこなった。1つは辞書類の調査、2つは雑誌や新聞といった印刷物の調査である。

 手始めに辞書類に目を通してみたところ、「」を「価」の異体字として収録する辞書は、日本、中国、台湾に関わらず、ほとんど見られなかった。調査した中では、台湾で刊行された『重編国語辞典』に「價」の異体字として掲出されているのが唯一の例であった。

 古代中国の辞書も調査してみたが、「」を「價」の異体字として収録するものは皆無であった。ところが、「」を「價」とは異なる文字として掲出している辞書がある。中国の金王朝(1115―1234年)の時代に編纂された『四声篇海』には「 ,音似,像也。」〔 は似(ジ)と発音し、「似る、象る」の意味である。〕が見える。「價」の異体字「」と、「似る、象る」の「」は、本来別字であるものの、成立した時代差(金代か現代か)を捨象すれば、両字は字体上の「衝突」を起こしていると言える。「衝突」とは、もともと異なる文字同士が何らかの要因で同形になる現象を言う。

 そして「」はもう1つの衝突を起こしている。日本の国字の中に「 (さいぶつ)」と読まれる漢字がある。『ビジュアル「国字」字典』(世界文化社、2017年)によると、悟りを開いた仏(釈迦)は西方に住むことから「西仏(さいぶつ)」という単語ができ、その国字として新たに、「仏」を略した「人」と「西」の合字、すなわち「」が成立した。以上に基づくと、「」は、「價」の異体字のほかに、①「音似,像也。」、②「西仏」と、二重に字体上の衝突を起こしているのである。

古代中国の「ジ(似る・象る)」、現代台湾の「價の異体字」、現代日本の国字「さいぶつ」をまとめた図

 話が少し脇道に逸れてしまったが、いずれにせよ、「價」の異体字としての「」字は、辞書の中でほとんど取り上げられていない。

 そこで次に印刷物における「」字を調査するために、ひとまず国立国会図書館デジタルコレクションにアクセスした。そこで戦前戦後の出版物を調査してみたところ、「」字は1949年ころから、謄写版(ガリ版)のような手書きに基づいた印刷物上に頻出することが判明した。

 今号はここまでとする。次号では戦前戦後の出版物に見える「」字を紹介したい。





次回「やっぱり漢字が好き59」は2月16日(月)公開予定です。

≪参考資料≫

教育部重編国語辞典編輯委員会編『重編国語辞典』、台湾商務印書館、1981年
『ビジュアル「国字」字典』、世界文化社、2017年

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「価」を調べよう

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≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能語の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

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