戦後漢字史の片隅に消えた文字【中】|やっぱり漢字が好き59
著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
前号に引き続き、「価」の異体字「
」について調査を進める。今号では国立国会図書館デジタルコレクションを手がかりに、戦前戦後の出版物に見える「
」字の実態を紹介したい。
「
」は戦前の出版物には見られず、戦後の一時期に集中して現れる。たとえば次の図1は昭和24年に刊行された『九州経済統計月報』第33号(九州経済調査協会、1949年10月)の紙面である。手書きに基づく謄写版(ガリ版)印刷で構成されており、表題に「物
」という表記が見える(赤丸の箇所)。
図2は同じく昭和24年に刊行された『電気通信経営月報』第3号(電気通信協会、1949年12月)の紙面である。上段の活字部分には旧字体の「價値」が用いられているが(青丸の箇所)、下段の謄写版(ガリ版)とおぼしき部分には「
値」の表記が見える(赤丸の箇所)。

図1 『九州経済統計月報』第33号(1949年)21頁
図2 『電気通信経営月報』第3号(1949年)19頁
以上は手書きに由来する印刷箇所に「
」が用いられている例であるが、とはいえ、謄写版の印刷物が「価」に対し一律「
」字を採用しているわけではない。たとえば昭和25年に刊行された図3の『産業貿易情報』第67号(貿易研究会、1950年12月)では、同じガリ版刷りでありながら、「
」ではなく「価」が用いられている(赤丸の箇所)。

図3 『産業貿易情報』第67号(1950年)2頁
昭和24年(1949年)を境に「
」や「価」が紙面に現れた背景には無論、同年4月に公布された「当用漢字字体表」の影響がある。これにより旧字体の「價」に代わって、「価」が用いられるようになった。とは言え、「
」と「価」の字形は厳密に言えば異なる。では「
」はどのように成立したのであろうか。その鍵は「西」の筆写体に隠されている。
「西」は古くから日中を問わず、手書きの上ではしばしば「
」の形で筆写されてきた。大正時代の尋常小学校で使われる漢字の字体を整理した「漢字整理案」(1919年)では、康熙字典体の「西」に対して、「
」を標準字体として用いることが認められていたし、現代でも手書きの際にこの形を用いる人は少なくない。
この「西」と「
」がかつて、役所の戸籍業務の現場で混乱をもたらしたことが、平成26年(2014年)9月12日に開催された第11回国語分科会漢字小委員会・議事録で報告されている。そのあらましを紹介しよう。
平成2年(1990年)に法務省民事局から発出された5200号通達によって、戸籍に誤字が記載されている場合、役所の権限によって訂正できることが明記されたが、それにともない、「
」と「西」は「筆写と活字の差」で、いずれも同じ文字だとされた。ところが平成6年(1994年)7005号通達発出後、「
」は俗字に分類され、一方「西」は常用漢字表の通用字体の正字に分類された。その結果、以下のような混乱が生じたという。
「
」を用いた「
本」姓を持つ父、母、長男、次男がいた。長男が平成5年(1993年)に結婚し、戸籍が独立。その時、戸籍に記載されたのは「西本」姓であった。これは5200号通達によって、「
」も「西」も同じ文字と見なされたことによる。
ところが、次男が平成8年(1996年)に結婚し、戸籍が独立した際、7005号通達によって俗字が使えるようになっていたため、「
」は「西」とは異なる文字として認識され、戸籍には「
本」と記載された。その結果、本来同じ戸籍に遡る長男と次男の戸籍上の文字が異なるという事態が生じたのである。
さて話を「
」字に戻すと、その成立には、上で紹介した「西」に関わる2つの字体、そして昭和24年(1949年)に公布された「当用漢字字体表」が関わっていると考えられる。
「当用漢字字体表」は「まえがき」にて「当用漢字表の漢字について、字体の標準を示したものである。」としつつ、「備考」欄にて、その「字体」というのは、活字字体のもとになる形で設計したものであることを述べる。すなわち、「当用漢字字体表」は活字字体の標準を示したものである。
一方で、「使用上の注意事項」欄で「この表の字体は、これを筆写(かい書)の標準とする際には、点画の長短・方向・曲直・つけるかはなすか・とめるかはね又ははらうか等について、必ずしも拘束しないものがある。」と述べられているように、手書きについては必ずしも、表で示された字体に制限されない。
上で述べたように、「
」と「西」は従来、同じ文字として扱われてきた。そのため「価」も、筆写の慣用に従えば、右旁を「
」と書こうが、「西」と書こうが、間違いではない。言い換えれば、「西=
」が成り立つので、「価=
」も成り立つのである。その結果、手書きの上で「価」はしばしば「
」で筆写されたと考えられる。
「当用漢字字体表」で示された新字体は、すべて筆写(手書き)の慣用の中から選定されたもので、基本的に「当用漢字字体表」のために新たに創出されたものはない。「価」も例外ではない。そして「西」を「
」形で書く「
」もまた、戦前戦後の人々が普段から用いていた筆写体であったと推測される。「当用漢字字体表」によって「價」の使用が制限され、「価」が標準字体に定められたことを契機に、専ら手書きの中だけで行われてきた「
」も、さままざまな出版物上に登場するようになったのではないだろうか。
今号はここまでとする。次号では1950年代の新聞紙面を手がかりに、「
」字が用いられなくなった軌跡を見ていきたい。
次回「やっぱり漢字が好き59」は2月16日(月)公開予定です。
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能語の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。