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新聞漢字あれこれ45 築地は「つきじ」と「つきぢ」のどっち?

2020.06.03

新聞漢字あれこれ45 築地は「つきじ」と「つきぢ」のどっち?

 築地といえば〝日本の台所〟などとも呼ばれ、市場の代名詞でもありました。2018年に中央卸売市場は豊洲へ移転しましたが、場外市場が残るなど現在も食の街として存在感を示しています。さて、この築地を平仮名で表すとしたら、皆さんは「つきじ」「つきぢ」のどちらを書きますか。

 半年ほど前の話になります。2019年12月、日本経済新聞朝刊NIKKEI The STYLEで、「築地再発見」という特集記事が掲載されました。そのトップページに平仮名で「つきじ」と大書した見出しに対し、読者から「つきぢ」の間違いではないかと問い合わせが来ました。

 「つきじ」とありましたが、これは「つきぢ」とすべきです。築地は仮名で書けば「つきち」ですから、これに濁点をつければ当然「つきぢ」になるからです。日経ともあろうものがどうしてこういう誤りをするのでしょうか。それとも何か理由があってあえて「つきじ」にしたのでしょうか。

 よほど納得がいかなかったのでしょう。質問は往復はがきで届き、回答を求めてこられました。ただ、「つきじ」と書いたのは間違いではありません。また「つきぢ」が誤りだというわけでもありません。現代仮名遣いでは「つきじ」となり、旧仮名遣いでは「つきぢ」になりますので、どちらも正しい表記といえます。ではどちらが良かったのかといえば、「つきじ」になります。新聞は現代仮名遣いで記事を書くことを原則にしているからです。公用文、教科書、国語辞典なども同様の表記基準をとっています。

 「じ」「ぢ」の使い分けが難しいのは、「地」に2つの音読みがあるからといえます。常用漢字表を見ますと「地」には「チ」と「ジ」の読みが示されていて、チは漢音、ジは呉音になります。円満字二郎さんの『漢字ときあかし辞典』によれば「ジはチが濁ったものだと思われがちだが、実は奈良時代以前からあって、チよりも古い読み方」で、築地の「地」も「ち」が濁ったのではなく、もともとある音読みの「じ」と解釈すればいいのではないでしょうか。似た例としては「治」(チ:漢音/ジ:呉音)が挙げられます。

 実は私も小学生の頃、漢字のドリルで地震の読み仮名を「じしん」ではなく、「ぢしん」と書いた記憶があります。その時は深く考えず「じしん」が正解なのかと思うようにしました。もともと地には「じ」の音があると教わっていれば悩まずに済んだのかもしれません。当時は国語辞典を積極的に引く子供ではなく、易しい字ほど調べたりしないので、しばらく疑問に思っていました。

 ところで皆さんは、慣用句「足が地に着かない」の「地」を何と読みますか。おそらく「ち」と読む人が多いと思いますし、実際、国語辞典などでも「ち」となっています。ここで2012年に刊行された『国立国語研究所「日本大語誌」構想の記録』の別冊に掲載されている「林大・見坊豪紀両先生の思い出」という一文から興味深いエピソードを引用します。

 たとえば「足が地に付く」という時の「地」は、「ち」と言うか「じ」と言うか。林先生が「うん、『じ』だね」と、見坊先生が「『じ』ですね」とおっしゃるのを聞いた時の驚きは、忘れられない記憶です。

 これは1987年の国立国語研究所内にあった国語辞典編集準備室でのやりとりです。林先生とは第3代国立国語研究所長を務めた林大(はやし・おおき)氏で、見坊先生とは三省堂国語辞典の編集主幹だった見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)氏。国語の大家である2人の研究者はなぜ「じ」と言ったのでしょうか。やはり「地」の読みの区別は難しいと思います。

《参考資料》
円満字二郎『漢字ときあかし辞典』研究社、2012年
貝美代子「林大・見坊豪紀両先生の思い出」『国立国語研究所「日本大語誌」構想の記録 別冊「日本大語誌」計画作業の思い出』港の人、2012年
金武伸弥『新聞と現代日本語』文春新書、2004年
神永曉『悩ましい国語辞典―辞書編集者だけが知っていることばの深層―』時事通信社、2015年
三省堂編修所編『新しい国語表記ハンドブック第八版』三省堂、2018年
白川静『常用字解』平凡社、2003年
諸橋轍次『大漢和辞典 巻三 修訂第二版第五刷』大修館書店、1999年
諸橋轍次『大漢和辞典 巻八 修訂第二版第五刷』大修館書店、1999年
『常用漢字表(平成22年11月30日内閣告示)』文化庁文化部国語課、2011年

《参考リンク》
漢字ペディアで「地」を調べよう
「NIKKEIことばツイッター」はこちら

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<著者紹介>
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。編集局 記事審査部次長、人材教育事業局 研修・解説委員などを経て2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 著書などに『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林 第四版』(編集協力、三省堂)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。

〈記事画像〉Sunrising/PIXTA(ピクスタ)

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