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やっぱり漢字が好き。10 書体は語る(下)

2023.06.01

やっぱり漢字が好き。10  書体は語る(下)

 前々号「書体は語る(上)」と前号「書体は語る(中)」では書体が特定の「場」(文体や内容)と結びついているという現象を、我々の身の回りにあるものを中心に紹介したが、この種の現象は、多様な書体やフォントを使い分ける現代だけのものではない。2000年以上前の古代中国から似たような現象がすでに見られるのである。

 たとえば、中国戦国時代(紀元前5世紀〜紀元前221年)の秦の国では、儀礼的な、またはメモリアルな場、たとえば碑石や青銅器、璽印に文字を記す場合には、正体である篆書(てんしょ)を用いていた。篆書は西周時代の金文(青銅器上の銘文の文字)を受け継ぐ保守的な文字である。

 一方、事務処理の場、たとえば竹簡に筆書きする場合には、俗体である隷書を用いていた。これを秦の隷書という意味で、「秦隷」と呼ぶ。秦隷は篆書を大きく簡略化した書体で、漢代に広く行われた隷書は、遡ればこれに由来する。秦隷は紀元前4世紀半ばに商鞅(しょうおう)による変法が行われ、急速に政治体制を整えつつある中で、大量の文書を処理する必要が生じたことに応じて成立した書体である。この書体上の変化は「隷変(れいへん)」と呼ばれ、秦の篆書が持っていた原始的象形性を大きく後退させる結果となり、それが現代の我々が用いる漢字の形にも受け継がれている。

 一例を挙げよう。「水」が漢字の部品として用いられているとき、篆書では図3-1「流」字の左側ように、水の流れを象った象形性の高い形で書かれる。一方、秦隷では図3-2のように3本線に簡略化されている。現代我々が用いる「氵(さんずい)」はこれに由来する。なお、前者は嶧山刻石(えきざんこくせき)という碑文の文字で、メモリアルな場で使用されたものであり、一方、後者は睡虎地秦簡と呼ばれる竹簡上に書かれた毛筆文字で、事務処理の場で使用されたものである。

図3-1 篆書「流」字(『説文新証』による)

図3-2 秦隷「流」字(『説文新証』による)

 以上のような事例もまた、書体が特定の「場」と結びつきやすいことを示している。無論、書体と「場」が結びつくに至った経緯は、前々号で紹介した古印体や淡古印とは大きく異なるけれども。

 書体と「場」は以上のように容易に結びつくが、とはいえ、その結びつき方は日中で必ずしも同じではない。たとえば、図3-3は中国の学術書からの引用であるが、章タイトル「5.2 “破”强及物性作格动词的及物性逐渐减弱」(訳:「破」グループの強他動性能格動詞の他動性の漸減)に古印体が用いられている。日本の学術書でこのような場に古印体や淡古印を用いることは稀である。なお、図3-3で引用した書籍は古代の中国語の文法現象について論じたものであることから、古めかしさを醸し出すために古印体を用いているのかもしれない。

図3-3 宋亜雲2014(一部)

 詳しく調査したわけではないが、中国ではホラーという文脈で古印体を用いることはないようである。実のところ、詳しく調査できなかったという方が正しい。中国の検索サイト「百度」でホラー映画の画像を検索できるが、ホラーが苦手な私には実に見るに堪えないものであった。何とか薄目を開けてざっと見てみたにすぎない。なお私見では、現代の中国は日本ほど書体やフォントに執着していないように見受けられる。

 言語的意味を表すのは文字であって、書体ではない。しかしここまで見てきたように、一部の書体は特定の文体、文脈や内容と関わることで、多くの言外の情報を含んでいる。まさに「体は語る」のである。

《参考資料》
大西克也・宮本徹『アジアと漢字文化』、放送大学教育振興会、2009年
裘錫圭著、稲畑耕一郎・崎川隆・荻野友範訳『中国漢字学講義』、東方書店、2022年
季旭昇『説文新証』、芸文印書館、2014年
宋亜雲『漢語作格動詞的歴史演変研究』、北京大学出版社、2014年

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著者紹介>
戸内 俊介(とのうち しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能後の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

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