新聞漢字あれこれ199 「硤」 予想していた? ノーベル賞
著者:小林肇(日本経済新聞社 用語委員)
10月7日、2026年のノーベル化学賞に東京理科大学の硤合憲三名誉教授(栄誉教授)の受賞が決まりました。失礼ながら硤合さんの業績はさておき、校閲記者として気になったのが名字の「硤」の字でした。
今回のノーベル賞の報道で初めて「硤」の字を見たという人も多かったのではないでしょうか。翌日の朝刊で「硤合」という大きな見出しに「そあい」とルビをつけた新聞がありました。それだけ珍しい字で、読み方もわかりにくいという判断があったはずです。「硤」はJIS第4水準で、私が超1級漢字※と呼ぶ字。環境依存文字であるため、機器やシステムによっては表示できないことから、今回の報道では一部「いしへんに夾」といった字解き※や、仮名表記も見られました。
『新潮日本語漢字辞典』によると、「硤」はキョウと読み、意味は谷間。「硤合」は「姓氏の一つ」とありました。日本経済新聞社の記事データベースサービス「日経テレコン」を使い日本経済新聞の朝夕刊(地方経済面を含む)で、ノーベル賞報道以前の「硤」の使用例を調べたところ、確認できたのはわずかに5件。うち4件は名字の「硤合」で、硤合憲三さん本人が3件、同姓の別人が1件でした。残りの1件が香港の地下鉄の駅名で「石硤尾」。これが確認できる最古の例で、1975年10月5日の朝刊に載った共同通信社の配信記事に出てきたものです。
実は「硤」の字、日本経済新聞社では2013年まで新聞文字として保有しておらず、作字※をしていました。社内資料によると「日本の姓、硤合(そあい)」として同年6月30日から紙面に使用できるようにフォント化。硤合憲三さんは2012年4月に褒章を受けて紙面に掲載されていて、今後も使われる字と判断したものです。当時の作字・フォント担当に私もいて、この決定に関わりました。今回の受賞は多くのメディアで予想外だったと言われていますが、10年以上前の私たちは先見の明があったと言っては言い過ぎでしょうか。
新聞では使用例が少ない珍しい字だったわけですが、ノーベル賞の受賞決定を受けて、10月8日の朝刊だけで一気に38回も登場。授賞式の12月10日までは2カ月ほどあり、今後も相当数の「硤」が多くの人の目に触れることになりそうです。頻出することは間違いなく、日本経済新聞社では早速、記者端末で「そあい」と入力すれば「硤合」と変換できるようにしました。おかげで、この記事を書くのにも役立っています。
ところで、ノーベル賞の時期に校閲担当として気をつけているのが「受賞」と「授賞」です。文字通り、賞をもらう側が「受賞」で、与える側が「授賞」のように使い分けます。与える側が決めるのが「授賞理由」で、もらう人は「受賞者」。「授賞式」は与える側が開くもので、もらう側が開くことはまずありません。また、受賞者については、授賞式までは「受賞した」とはせずに、「受賞が決まった」「受賞が決定した」などと表現することになっています。
※超1級漢字:JIS第1・第2水準以外の漢字のこと。筆者の造語。漢検1級の出題範囲である約6000字がJIS第1・第2水準を目安としていることから。
※字解き:ある文字が他の字と間違えないように説明をつけること。「川」を「三本ガワ」、「嶋」を「山鳥のシマ」など。(大辞林第四版から)
※作字:印刷用の活字や文字フォントを作ること。また、パソコンなどに登録されていない文字を作成すること。(大辞林第四版から)
次回、新聞漢字あれこれ第200回は10月28日(水)に公開予定です。
≪参考資料≫
『新潮日本語漢字辞典』新潮社、2007年
『増補改訂 JIS漢字字典』日本規格協会、2002年
≪参考リンク≫
「日経校閲X」 はこちら
≪おすすめ記事≫
新聞漢字あれこれ121 「山と言えば川」ですね はこちら
新聞漢字あれこれ91 幽霊漢字があやうく紙面に はこちら
≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語委員
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。記事審査部次長、研修・解説委員、用語幹事などを経て現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。専修大学国際コミュニケーション学部協力講座講師。漢検 認定エキスパート講師。漢字教育士。
著書に『新聞・放送用語担当者完全編集 使える!用字用語辞典 第2版』(共編著、三省堂)、『方言漢字事典』(項目執筆、研究社)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『日本語ライブラリー 文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。日経BizGateで『誰かに話したくなるビジネス日本語』、三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。