不思議な漢字②「甲」「由」に似ている「曱甴」は何者?
こんにちは!漢字カフェ担当のカンキツです。
前号では「兵」に一画足りない「乒乓」について解説頂きました。今回は第2弾として、「甲」「由」によく似た「曱」「甴」という漢字について解説頂きます!
「曱甴」という漢字から
著者:竹澤雅文(X名義「拾萬字鏡@JUMANJIKYO」)
広東語ではゴキブリを「曱甴」と書く。甲や由に似て不足感があるこの奇妙な2文字、実は諸橋轍次(著)『大漢和辞典』で引くと「曱」は“物をとる”の字義、「甴」は“義未詳”として取り扱われている。ゴキブリの字義はそこになく、どこから出てきたのか気になる。
敦煌で発見された資料の中に『字宝砕金』とよばれる辞書がある。この辞書は唐五代の俗語辞書で10世紀の写本が伝わっている。当時話されていた漢語に対しどのような漢字を当てたかその一例を知ることができる。日本語でも常見の「狡猾」や「咀嚼」など同じ偏を有する熟語や俗語がならぶ・・・そんな中に「甴曱」(「曱甴」と字の順番が逆)という二文字もならんでいた。
これは「」(『字宝砕金』の注釈に従えば zha-zhi、タクチツ(タフチツ)などのように 読む。声調はここでは省略する。以下同)という熟語の異表記としている。「」とは抵触の意で、互いにかみ合わず反発することを意味する熟語である。広東語のゴキ ブリ gaat-dzaat とは読みも意味も違ってお り、全く違った言葉に「甴曱」が当てられ ていたことがわかる。また12世紀末の『新修玉篇』と通称される字典には「甲部」と「田部」に重複して「甴曱」が出現し、それぞれ割注の内容が違っている(“不定也”という字義も付け加えられているが、『字宝砕金』とはまた別の例か判断しがたい)。このころまでにはすでに「甴曱」がいろいろな語彙の表記として用いられていた可能性がある。
ゴキブリの意味で明確に使われた例はS. Wellsの『A tonic dictionary of the Chinese language in the Canton dialect』(1856年)やLobscheidの『A Chinese and English Dictionary』(1871年)がある。そこでは現代広東語で一般的になっている「曱甴」とは逆に「甴曱」と綴られていた。手もとにある直近20年内に出版された広東語の辞典4種を確認したところ全てが「曱甴」と表記されていたが、香港教育局の「香港小学学習字詞表」(https://www.edbchinese.hk/lexlist_ch/)では「甴曱」と綴ることを正としているようだ(2024年9月24日閲覧)。「甴曱」は千年以上も前から様々な意味で使われていたことがわかる。
次回、第3弾は「門」を分解した「」などについて解説頂きます。(10月30日(水)公開予定)
≪参考文献≫
砂岡和子(1986)「敦煌出土『字宝碎金』の語彙と字体」、『中国語学』233号p.130-137
饒秉才(編)『広州音辞典:普通話対照』3版、広東人民出版社、2018.8 第53刷
張励妍(編)『香港粤語大詞典』天地図書有限公司、2018
周無忌(編)『広州話方言字字典』、商務印書館(香港)有限公司、2018
黄伯栄(著)『広東陽江方言研究』、中山大学出版社、2018
笹原宏之(著)『漢字は生きている』東京新聞、2021 第3刷
日本漢字学会(編)『漢字系文字の世界 字体と造字法』花鳥社、2022
≪著者紹介≫
竹澤雅文(たけざわ・まさふみ)
栃木県出身。1997年生まれ。岐阜大学を出、現在は在野研究者。ツイッター(X)では「拾萬字鏡」(@JUMANJIKYO)の名で漢字に関する話題を発信。16 歳のときに漢字字典を書き始め、現在も仕事のかたわら字典を執筆。現在約1,600 ページの原稿ができており、親字99,172 字を収録予定で進行中。