姓名・名づけ歴史・文化

あつじ所長の漢字漫談8 黄門さまのお名前の漢字―「圀」について

あつじ所長の漢字漫談8 黄門さまのお名前の漢字―「圀」について

著者:阿辻哲次(京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長)

 夏休み特別企画として漢字ミュージアムで開催した「漢字縁日」に、「くにがまえ投げ」というゲームがありました。これは実際の縁日でおこなわれている「輪投げ」を模して、一辺が20センチほどの正方形に作られている「くにがまえ」を《古》や《口》、《袁》などのマトに向かって投げ、うまく入れば「固」や「回」「園」などの漢字ができるという趣向で、簡単だけれど奥が深い(?)からか、連日多くの方々から楽しんでいただけました。

漢字ミュージアムで開催した「漢字縁日」の「くにがまえ投げ」ゲームコーナー

 この「くにがまえ投げ」で、《玉》というマトにうまく入れば、「国」という漢字になりますね。でも「国」という漢字は、学校で習う「国」の他にも「國」と「圀」があって、「國」は戦前まで使われていた旧字体です(いまでも苗字にこの字形を使う人がいます)。そして3番目の「圀」は・・・映画やテレビの時代劇が好きな人ならご存じでしょうが、水戸黄門さまの名前に使われていますね。黄門さまと助さん格さんが大活躍する『水戸黄門漫遊記』は歴史を面白おかしく仕立てた時代劇で、もちろん史実ではありませんが、話のモデルになったのは徳川家康の孫にあたる徳川光圀です。彼は水戸藩初代藩主となって水戸藩の繁栄に尽力した名君とたたえられ、また『大日本史』というりっぱな歴史書を作らせた学者としても知られていますが、実際の光圀は日光から鎌倉あたりまで、あるいは千葉県の一部くらいしか訪れたことがなく、全国を行脚して庶民を苦しめる代官などをとっちめるというようなことはまったくおこなっていないそうです(話としては面白いですが)。

 その名君の名前に「圀」が使われていますが、これは実はちょっと特殊な漢字なのです。というのは、これは中国の歴史上でただ一人の女性で皇帝となった則天武后(中国では武則天と呼ばれます)が作った「則天文字」のひとつだからです。

 もともと中国人にとって、文字はきわめて神聖なものでした。文字ははるか昔の聖人が発明したもので、それを作ることは聖人と王者だけに許された特権でした。そしてこの事実を利用して、自分の権力を誇示しようとたくらんだ人物がいました。それが則天武后、本名でいえば武照という女性でした。

 武照は異常なまでに権力欲が強く、あくどい手段を弄して皇后の座にすわることに成功しました。さらに夫である皇帝高宗が亡くなったあと、武照にはもう遠慮すべき人物はなく、西暦690年ついに皇帝の位につき、国号を「周」と改めました。権勢欲の権化であった女性はついに栄華をきわめ、唐王朝はここに一時中断することとなったのです。

 皇帝として武照は15年間在位しましたが、自分が新しく王朝を開いたことを象徴する行為として、いくつかの新しい文字を作らせました。それが則天文字で、帝王が作った神聖な文字を自分で作ることによって自己の地位の神聖化をねらったものでしたが、その時代での文字の使われ方からいえば、実際には大きな時代錯誤であり、茶番劇でした。

 これらの文字は既製の漢字の偏やつくりなどを適当に組みあわせたもので、明確な文字学の原則に準拠して作られたものではありませんでした。則天文字は20字ほど作られ、武照在位中は強大な権力のもとに使用を強制されましたが、その権力の失墜とともに、ほとんど使われなくなってしまいました。

 そんな中でただ一字だけ、今の日本で使われているのが「圀」で、これはおなじみの黄門さまのお話に使われているので、「JIS漢字」にも収録され、おかげでパソコンやスマホでも簡単に表示される漢字となっています。

六書略

 この文字については、具体的な制作状況をうかがわせるエピソードが残っています。

 ある時、家臣の一人が則天武后に上奏文を提出しました。その内容は、「國」という字は《□》と《或》からできているが、《或》は「惑」(まどう)に通じるので、「國」という字は天に関するさまざまな現象を惑乱するという意味になります。そこでこの際、《或》のかわりに《武》(則天武后の苗字)を入れるように改められるがよろしかろう、との提案でした。つまり国の中心に則天武后が位置している形を示す文字を作れというのであり、いうまでもなく彼女の権力に媚びたゴマすり発言ですが、武后はその提案に大喜びし、早速「國」のかわりに《□》と《武》を組みあわせた文字を作らせました。

 しかしそれから一ヶ月ほどして、別の者がやはり上奏文を提出し、その字は人が牢屋に閉じこめられている形を表す「囚」と同じ構造で、武氏が《□》(=牢屋)の中に閉じこめられている形なので、きわめて縁起が悪いと述べました。武后は驚いてさっそくその字を廃止し、そのかわりに《□》の中に世界全体を表わす「八方」ということばを入れた文字を作らせました。

 こうして「圀」という形ができ、そのことを知っていた徳川光圀が自分の名前に使ったというわけです。

≪参考リンク≫

・漢字ペディアで「国・國・圀」を調べよう

≪著者紹介≫

阿辻哲次先生
阿辻哲次(あつじ・てつじ)
京都大学名誉教授 ・(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所所長

1951年大阪府生まれ。 1980年京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了。静岡大学助教授、京都産業大学助教授を経て、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員として2010年の常用漢字表改定に携わる。2017年6月(公財)日本漢字能力検定協会 漢字文化研究所長就任。専門は中国文化史、中国文字学。人間が何を使って、どのような素材の上に、どのような内容の文章を書いてきたか、その歩みを中国と日本を舞台に考察する。
著書に「戦後日本漢字史」(新潮選書)「漢字道楽」(講談社学術文庫)「漢字のはなし」(岩波ジュニア新書)など多数。

≪掲載資料出典≫

元・鄭樵『六書略』(元至治刊本『通志二十略』より)

≪記事写真≫

記事上部:写仁夢 / PIXTA(ピクスタ)
記事中 くにがまえ投げ写真提供:漢検 漢字博物館・図書館

記事を共有する