気になる日本語漢字の使い分け

新聞漢字あれこれ110 破り、敗れて、新時代へ

新聞漢字あれこれ110 破り、敗れて、新時代へ

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)

 サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会が閉幕して約3週間。あの熱狂と興奮も、ずっと前の出来事のように感じるこのごろですが、W杯で気になった漢字が「破」でした。

 日本代表は、W杯優勝経験のあるドイツ、スペインを破り、1次リーグ(グループリーグ)を突破。またしても8強の壁を破れませんでしたが、決勝トーナメントで前回準優勝のクロアチアにPK戦までもつれ込む戦いぶりは、多くの人たちに称賛されました。大会の開催時期がもっと早かったならば、2022年の「今年の漢字」は「戦」ではなく「破」が選ばれていたのではないかと思ったほどです。

 スポーツで対戦相手に勝利した場合、「破る」「下す」「倒す」などいろいろな表現をします。数年前、日本新聞協会の新聞用語懇談会関東地区幹事会で、ある社から「アマチュア競技では対戦者の格の上下を前提とした表現を避けるため、『AがBを下す』とは書かないようにしているが、他社はどうか」との質問がありました。これは格下が格上に勝つときは「下す」とは言わないことを前提にした質問でしたが、各社の回答は「AがBを下すという表現を使っている」とするものが大勢でした。

 一方、大相撲で横綱や大関を格下力士が破った場合に「下す」と言わないように、プロの場合は格下が格上に勝つときに「下す」を使わないという社も多くありました。また、「そうした区別はなく、格上にも格下にも使っている」「辞書では必ずしも上下の関係に言及していない」といった指摘もありました。プロ野球のように試合数が多く、細かく格の上下を意識することがない競技もあります。大相撲のような地位による格付けがなければ、プロでもアマでも厳密に「下す」「破る」といった使い分けはできないというのが実情でしょう。

 大相撲の番付ではありませんが、サッカーには世界ランキングがあります。W杯時点で日本はスペイン(7位)、ドイツ(11位)より下の24位。そう考えれば、今大会では「下す」よりも「破る」のほうがよりふさわしい表現だったと言えるのかもしれません。人によって語感は異なりますが、皆さんはどう思われたでしょうか。

 ちなみに、スポーツ関係で多い変換ミスとして「やぶれる」が挙げられます。負けたときの「敗れる」が「破れる」となってしまっては困ったものです。「勝利の夢破れる」ことはありますが……。

 クロアチア戦で敗れた後、森保一監督は「選手の努力が色あせることはない。優勝経験国に勝てる新しい景色は見せてくれた。日本が世界で戦い、世界で勝っていける新時代を見せてくれた」と語りました。はたして、2026年大会で日本代表は強豪国を「下し」て1次リーグを「通過」し、8強の壁を「破る」ということになるのでしょうか。新時代に表現がどう変わっていくのか気になるところです。

≪参考リンク≫

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漢字ペディアで「下」を調べよう
漢字ペディアで「破」を調べよう
漢字ペディアで「敗」を調べよう

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≪著者紹介≫

小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。

≪記事画像≫

Surgey Nivens / PIXTA(ピクスタ)

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