新聞漢字あれこれ156 「坂」と「阪」 固有名詞は要注意
著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
上り下りする「坂」を「阪」と間違う事例は見たことがありませんが、固有名詞ではよく取り違えをされているものを見ます。数が多いのでしょう、校閲記者もミスを救いきれず、何度か訂正記事が出ています。
テニスの「大坂なおみ選手」を大阪と誤変換してくるのは定番。2018年に四大大会で初優勝した頃から頻出します。スポーツ選手が活躍すれば、紙面に多く登場することになりますので、ミスの起こる回数もそれだけ増えることになるわけです。
同年3月15日付の朝刊スポーツ面の見出し。サッカーの「C大阪」があやうく「C大坂」と間違ったまま紙面化しそうになりましたが、何とか防ぎました。この日の紙面は、テニスの大坂選手のほか、プロ野球・中日の松坂大輔投手にサッカーのC大阪、G大阪と「さか」だらけ。校了間際は大混乱でした。
次は音読みの話で、「ばんどう」姓でもミスが起きがちです。「坂東」さんを「板東」さんと間違えて訂正記事が出たことがありました。同じ読みでは「阪東」姓の人もいます。歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんや元プロ野球選手の板東英二さんら著名人が多いだけに、「ばんどう」姓も「大坂なおみ」選手とともに要注意語としてはいますが、そう簡単にミスは減りません。
姓のほか、地名や企業名で見るのが「まつさか・まつざか」。「松阪」さんもいれば「松坂」さんもいます。三重県の自治体名は「松阪市」で、百貨店名は「松坂屋」。ブランド牛の「松阪牛」を「松坂牛」と誤った事例は、みなさんも見たことがあるのではないでしょうか。昨年、ある食のイベントに参加したところ、食券の表示が「松坂牛ローストビーフ」となっていました。「字が違うので松阪牛ではない肉を使っているのでは?」と笑いながら担当者に伝えたところ、「三重県人が何人もいるのに気づきませんでした」と驚いた様子。よく知っているものだからこそミスに気づきにくいというのは、どこにでもある話です。
『方言漢字事典』の「阪」の項目には「大阪府と三重県などに集中的に見られる地域文字」とあり、「阪」と「坂」は異体字関係で、かつては「とくに区別なく用いられており、戦前は普通名詞の『さか』に『阪』を用いる例も見られた」とのこと。現在はどちらも常用漢字なので、使い分けはきちんとしなければなりません。
次回、新聞漢字あれこれ第157回は11月20日(水)に公開予定です。
≪参考資料≫
『漢字ときあかし辞典』研究社、2012年
『方言漢字事典』研究社、2023年
『マスコミ用語担当者がつくった 使える!用字用語辞典』三省堂、2020年
≪参考リンク≫
「日経校閲X」 はこちら
漢字ペディアで「坂」を調べよう
漢字ペディアで「阪」を調べよう
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≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『方言漢字事典』(項目執筆、研究社)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。