新聞漢字あれこれ181 誤読が原因?「多肢にわたる」
著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
校閲をしていると、どうしたらこんな変換・入力ミスが起きるのだろうかと思うような事例に遭遇することがあります。「多肢にわたる」もそのひとつでした。
2025年4月のある日、「多肢にわたる」という誤植を「多岐にわたる」と直したとの業務報告書が上がっていました。こんなミスを見たのは初めてで、おそらく記者が「多岐」の「岐」を、つくりの「支」から連想して「シ」と読むと思い込んでいたのかもしれません。それで「たしにわたる」と記者端末のキーボードをたたき、変換候補に「多肢」が現れて「多肢にわたる」となってしまったのだと思われます。
多岐とは「いろいろな方面にわかれていること」(三省堂現代新国語辞典)で、「問題は多岐にわたる」などとよく使われます。新聞記事では一種の決まり文句のようなもので、よく出てくるはずのものですが、この記者は「多岐」を「たき」ではなく「たし」と誤読していたのでしょう。
とはいえ、こうした誤りは特別なことではありません。SNSや記事データベースを検索すると、少なからず「多肢にわたる」が出てきます。思い込みは誰にでもあることですし、校閲する側も一字一字チェックしているものの、文脈から頭の中で「正しい」とつい判断してしまい、見落とすこともあるのです。読み手側にも「こんな間違いがあるはずがない」との勝手な思い込みがあるといえます。
連載の第44回で取り上げた「年俸(ねんぽう)・年棒(ねんぼう)」「給湯(きゅうとう)・給油(きゅうゆ)」、82回の「無類(むるい)・部類(ぶるい)」「諭旨(ゆし)・論旨(ろんし)」「貸借(たいしゃく)・賃借(ちんしゃく)」「王手(おうて)・大手(おおて)」「脈絡(みゃくらく)・脈略(みゃくりゃく)」「嫡出(ちゃくしゅつ)・摘出(てきしゅつ)」などは、いろいろな場面で繰り返し出てきます。校閲記者はミスが発生しやすいパターンを常に頭の中に入れておきたいところです。
SNSを見ていて「一言虚子」なる語を見ました。なんだろうと思ったら「一言居士(いちげんこじ)」の誤りであることが分かりました。「居士」を「きょし」と読み間違えていて「虚子」となってしまったものです。常用漢字表にある「居」の音訓欄に「コ」の読みはありませんが、付表には「こじ」と読む「居士」が示されています。
次回、新聞漢字あれこれ第182回は12月17日(水)に公開予定です。
≪参考資料≫
『三省堂現代新国語辞典 第七版』三省堂、2024年
『常用漢字表(平成22年11月30日内閣告示)』文化庁文化部国語課、2011年
≪参考リンク≫
「日経校閲X」 はこちら
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≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『新聞・放送用語担当者完全編集 使える!用字用語辞典 第2版』(共編著、三省堂)、『方言漢字事典』(項目執筆、研究社)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。