野球用語から「死、殺、盗」は消えるのか? ―― 宮城県高野連の野球用語見直しの是非 ――【1/4】|やっぱり漢字が好き71:時には野球の話を④
著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
2025年7月10日、宮城県高等学校野球連盟(以下、宮城県高野連)から次のような提言が公開された(https://www.miyagi-kouyaren.com/news.cgi?id=134641752129898)。
野球用語を考えてみませんか?
1894年、中馬庚氏が第一高等中学校(現東京大学)のベースボール部史を執筆する際に「野球」という用語を使用し、ルールブックに記載されている野球用語を特有の漢字表記で表し、その用語は現在でもあらゆる記録・報道等で利用されています。
宮城県高野連では野球人口拡大に向けて普及振興活動を行っておりますが、その用語の中に、現代では相応しくない用語も含まれると考え、「考えてみよう」という取り組みを始めました。皆さんも一緒になって考えてみませんか?
教育的配慮が必要と思われる野球用語
例)一死・二死
犠牲バント・犠牲フライ
併殺・三重殺
刺殺・補殺・挟殺
死球・盗塁
試合中に、「刺せ~」「殺せ~」「盗め~」という言葉が出るのはこういった用語があるからだと思われます。
この提言に関し、宮城県高野連はこの秋にも検討委員会を設置すると報道されている。本稿では、日本語に翻訳された野球用語の歴史を振り返りながら、この提言に対する筆者の私見を述べていきたい。全4回の予定である。
ある用語が、その語の持つイメージの悪さから変更されるケースは決して珍しいことではない。たとえば、サッカーでかつて「ロスタイム」と呼ばれていたものは現在「アディショナルタイム」と名を変え、「サドンデス」は「Vゴール」や「ゴールデンゴール」に変更された。スポーツ以外でも、「痴ほう症」から「認知症」への移行など、同種の言い換えがしばしば見られる。
したがって、「時代に合わない」「語のイメージが悪い」という理由による用語変更を、「伝統をぶち壊すから」といった理由で無下に退けることはできない。柔軟に考える必要があるだろう。
宮城県高野連が見直しの対象に挙げた用語の問題点は、以下のように整理できる。
「一死・二死」:アウトカウントを「死」と表現する。
「犠牲バント・犠牲フライ」:打者が自らアウトになる代わりに、走者を一つ先の塁へ進める行為を「犠牲」と表現する。
「併殺・三重殺・刺殺・補殺・挟殺」:アウトを取ることを「殺」と表現する。
「死球」:打者に投球が当たることを「死」と表現する。
「盗塁」:投手の投球時に走者が次塁に向かう行為を「盗」と表現する。
宮城県高野連は、これらの用語を挙げたうえで、「試合中に、『刺せ~』『殺せ~』『盗め~』という言葉が出るのはこういった用語があるからだと思われます」と締めくくっている。しかし後述するように、明治以降の野球用語の歴史を見ていくと、「盗塁という用語があるから『盗め』と言うようになった」「併殺・三重殺・刺殺・補殺・挟殺という用語があるから『殺せ』と言うようになった」とは単純に見みなすことができないのである。
以下、明治期に野球が日本に伝来して以降の野球関連書籍を追いつつ、野球用語の翻訳史を振り返って、宮城県高野連が提起した問題を考えるきっかけとしたい。なお以下に紹介する①〜③および⑤〜⑩は『明治期野球名著選集』(ベースボール・マガジン社、1980年)から、④は復本一郎編『正岡子規ベースボール文集』(岩波書店、2022年)から引用した。
①F. W. Strange『Outdoor Games』、明治16年(1883年)
日本初の野球関連書籍と思われる。34のスポーツ種目を解説する中で野球が紹介されているが、全文英語であるため日本語訳された用語は見られない。
②坪井玄道・田中盛業編『戸外遊戯法』、明治18年(1885年)
①の次に野球について触れた書籍である。①と異なり、全篇日本語で書かれ、21の屋外ゲームの20番目に「ベースボール」が紹介されている。
③第一高等學校校友會野球部編『校友會雜誌 號外 野球部史附規則』、明治28年(1895年)
本書で史上初めてBaseballに「野球」という訳語が与えられた。巻頭の中馬庚による例言には、ローンテニスが「庭球」と訳されたことを踏まえ、ベースボールを「野球」と翻訳し、さらにいくつかの用語の日本語訳を試みた旨が記されている。とはいえ、本書ではまだ用語を英語のまま表記するものが多い。例えば、Catcher、Base、Home in、Foul(順番に、キャッチャー、ベース、ホームイン、ファールを表す)など。さらにポジションも、P/C/S.S/1st/2nd/3rd/R.F/C.F/L.F(順番に、投手、捕手、ショート、ファースト、セカンド、サード、ライト、センター、レフトを表す)といった英語略称が採用されている。
④正岡子規『松蘿玉液』、明治29年(1896年)
正岡子規が『日本新聞』に連載した随筆である。子規はここで多くの用語の翻訳を試み、例えば、ベースを「基」と訳しつつ、
ホームベース → 本基
ファーストベース → 第一基
セカンドベース → 第二基
サードベース → 第三基
とし、また各ポジションは、次のように日本語訳する。
ピッチャー → 投者
キャッチャー → 攫者
ファースト → 第一基人
セカンド → 第二基人
サード → 第三基人
ショート → 短遮
レフト → 場左
センター → 場中
ライト → 場右
このほか、ランナーに「走者」、アウトに「除外」、バッターに「打者」、デッドボールに「死球」という訳語を当てる。「走者」「打者」「死球」は今なお用いられ続けており、とりわけ「死球」は今回槍玉に挙がった用語である。注目すべきは、この段階ではアウトに対し「死」や「殺」といった“物騒”な語彙は用いられていない。
子規はbaseballを「弄球」と翻訳したこともあったが、『松蘿玉液』1896年7月22日付の随筆「野球の来歴」では、中馬庚に引き続き「野球」という訳語を採用している。
今号はここまでとしたい。次号では引き続き、明治期の野球関連書籍から、野球用語の翻訳史を振り返っていきたい。
次回「やっぱり漢字が好き72」は11月2日(月)公開予定です。
≪参考資料≫
神田順治『復刻版/明治期野球名著選集解説』、ベースボール・マガジン社、1980年
復本一郎編『正岡子規ベースボール文集』、岩波書店、2022年
『明治期野球名著選集』、ベースボール・マガジン社、1980年
陳義煌・張世明・曾文彦編『中華民国棒球規則』、中華民国棒球協会、2019年
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能語の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。