ソロホームランは「かけそばホームラン」?|やっぱり漢字が好き49:時には野球の話を③

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
日本プロ野球のオールスターゲームが終わり、ペナントレースも後半戦へ突入した。北海道出身の筆者は無論、北海道日本ハムファイターズを応援している。今年は日ハムが4月から終始優勝争いに絡んでいることから、ファンの身としては、単調な生活が豊かになっていると感じる。新庄監督はじめ選手のみなさん、ありがとう!
そんなことで、三たび筆者の趣味全開の野球に関わる話題を取り上げたい。
以前のコラムで、台湾で用いられている野球用語に日本語由来のものが多いものの、「本塁打」、すなわちホームランだけは違いが大きく、台湾では“全壘打”(台湾では「塁」は“壘”と書く)と表記されることを紹介した。今号では、このホームランの呼び方についてもう少し踏み込んでみたい。
ホームランには、ランナーの数によっていくつかの呼び名がある。満塁ホームラン、スリーランホームラン、ツーランホームラン、ソロホームランである。このうち、スリーランホームランとツーランホームランの台湾での呼称は、英語の直訳に由来する。それぞれ“三分全壘打”“兩分全壘打”と呼ばれる。“分”は得点を意味する。
満塁ホームランは、そのまま“滿壘全壘打”と表記されることもあるが、時に“大滿貫”とも呼称される。“滿貫”と言うと麻雀を連想させるが、本来は銭差しいっぱいに銭が通されている様子を指し、そこから「物事が最高限度に達する」という意味へと派生した。“大滿貫”は、英語の「グランドスラム」に相当する訳語である。
そしてソロホームラン。台湾でこのホームランだけは、日本語や英語とは異なる独自の呼び名が用いられ、“陽春全壘打”や“陽春砲”と称される。“陽春”は決して「ソロ」の直訳ではない。この名称は「陽春麺」という料理に由来している。「陽春麺」と聞いてピンとこない方も多いかもしれないが、具のないラーメンと言えばイメージしやすいであろう。「余計な具材がない、最もシンプルな=ランナーがいない」という比喩が込められているのである。
たとえば、台湾4大新聞の1つ『自由時報』が2025年6月3日に公開したウェブ記事のタイトル“炸裂!大谷翔平敲怪力陽春砲 再度並列大聯盟全壘打王”(炸裂!大谷翔平が怪力ソロホームランを打ち、再びMLBのホームラン王と並ぶ)には“陽春砲”という表記が見える。さらに、『三立新聞網』というニュースサイトの2025年5月18日のウェブ記事の一文“洋基這場比賽得分都是靠全壘打,但是2碗「陽春麵」”(ヤンキースのこの試合の得点はすべてホームランによるものであったが、2杯の「陽春麺」であった)は極めて興味深い。この中で、ソロホームランの本数を「陽春麺」の杯数に見立てて、“〜碗”(〜杯)という助数詞でカウントしている。つまり「2本のソロホームラン」=「2杯の陽春麺」ということである。
多くの方にとって「陽春麺」は馴染みのない食べ物であろう。そこで筆者は、東京で「陽春麺」を食べられる中華料理店を探し、実際に足を運んでみた。次がその時に撮影した「陽春麺」の写真である。
写真1 陽春麺(筆者撮影)
ちょっとネギが多すぎる気もするが、確かにネギ以外の具材は入っていない。これが台湾における「ソロホームラン」=“陽春全壘打”の由来である。
さて、みなさんは『一杯のかけそば』という物語をご存じだろうか。若い世代の方には馴染みが薄いかもしれないが、ある程度の年代の方にとっては懐かしい作品だろう。この物語は1989年に突如として大ブームを巻き起こし、一世を風靡したものの、瞬く間に姿を消した。ここで詳しいあらすじを紹介する余裕はないが、『一杯のかけそば』は中国や台湾にも紹介され、『一碗陽春麵』(一杯の陽春麺)というタイトルで翻訳されたことがある(続三義2022)。
“陽春麺”が「かけそば」に相当すると考えれば、“陽春全壘打”は「かけそばホームラン」と日本語訳できるのである。
次回「やっぱり漢字が好き50」は9月1日(月)公開予定です。
≪ 過去の野球関連記事 ≫
「本塁打」と“全壘打“、そして「長打率」【上】:時には野球の話を②
「本塁打」と“全壘打“、そして「長打率」【下】:時には野球の話を②
≪参考資料≫
続三義「『かけそば』と“阳春面”」、会報『日本と中国』、公益社団法人日本中国友好協会、2022年3月1日号
自由時報 2025年6月3日 記事のリンク
三立新聞網 2025年5月18日 記事のリンク
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≪著者紹介≫
戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能語の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。