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野球用語から「死、殺、盗」は消えるのか? ―― 宮城県高野連の野球用語見直しの是非 ――【2/4】|やっぱり漢字が好き72:時には野球の話を④

野球用語から「死、殺、盗」は消えるのか? ―― 宮城県高野連の野球用語見直しの是非 ――【2/4】|やっぱり漢字が好き72:時には野球の話を④

著者:戸内俊介(日本大学文理学部教授)
 


 宮城県高野連が発表した野球用語見直しの提言について検討する材料として、本稿ではひとまず明治期に野球が日本に伝来して以降の関連書籍を追いつつ、野球用語の翻訳史を振り返っている。前号では明治16年(1883年)に刊行された、野球を日本に紹介した著書から、明治29年(1896年)の正岡子規の野球に関する随筆までを取り上げた。今号でも引き続き、明治期の野球関連書籍の中の野球用語を見ていきたい。


⑤高橋慶太郎『ベースボール術』、明治29年(1896年)
 日本初の野球単行本。④の子規とは対照的に、用語を日本語訳せず、Base ballベースボール,outアウト,safeセーフ,Home baseホームベース,Dead ballデッドボール,Strikeストライキなど、カタカナルビつきの英語を使用している。またポジションの名称も全て英語表記である。

 ④の『松蘿玉液』と⑤の『ベースボール術』の比較を通して、この時期の野球用語は、外来語を原語のまま表記するか翻訳して表記するかについて、論者によって態度が大きく異なっていたことがわかる。


⑥中馬庚『野球』、明治30年(1897年)
 本書は前号で紹介した③の『校友會雜誌 號外 野球部史附規則』を受け、タイトルを「野球」としている。中馬はbaseballを「野球」と翻訳した人物として有名であるが、必ずしも全ての野球用語を日本語に訳しているわけではない。実際、本書ではポジション名を全て英語で表記している。

 一部の野球用語に対して本書は日本語訳を当てる。たとえば、現在「回」で数えるイニング、例えばfirst inning(1回)やsecond inning(2回)を「第1圍」「第2圍」(「圍」は「囲」の旧字)と訳す。さらに本書の採用した野球用語の中には、その後の日本の野球用語に大きな影響を与えたものもある。infielderを「内野手」、outfielderを「外野手」と訳したのはその一例である。

 また、本書はアウトに対し特定の日本語訳を当てていないものの、アウトを取ることを「殺す」と表現する。例えば、「Doupl* play(一時ニ二人ヲ殺スヲ云フ)」(p.172)。なお、「併殺」という表記は、これより後の明治末期頃から定着したものと考えられる(たとえば国会図書館デジタルコレクションで検索をかけると、「二壘にある村上を併殺して」という記載が、1910年に運動世界社より出版された『運動世界 (擴大號)(24)』に見える)。*原文表記ママ

 本書には「盗塁」という訳語は見られない。しかし、「2.Bヲ盗ム能ハスンハ常ニ是ヲ盗ムノ擬勢ヲ示シテ牽制ヲ怠ルコト勿レ」(p.175)というように、盗塁という行為を「盗む」と表現する(なお国会図書館デジタルコレクションで調べる限り、「盗塁」は1906年が初出のようである。「彼れの妙は、盜壘である。」、『学生タイムス (3)』、学生タイムス社、1906年)

 ショートすなわちshort stopを「遊撃手」と翻訳したのは本書が最初であると考える者もいるが、これは厳密ではない。本書には「遊撃手」という訳語自体は見られない。原文の関連する箇所は、「全軍ノ花役者内野ノ遊軍其地ヤ最モ球ノ來ル所ニシテ最モ功ヲ易キ所ニアリベーす*ヲ守ルノ煩累ナク出入進退唯吾ノ欲スル所遊撃援助唯時ノ宜シキニ随フ其任ヤ華美ナルカ如クニシテ實ハ難シ」(p.130)であり、ショートの役割を「遊撃」と表現したことが、後にショートを「遊撃手」と訳すきっかけとなったと考えられる。*原文表記ママ

 この⑥の中馬庚『野球』の野球用語に対する分析から、非常に重要な事実が読み取れる。当時、外来の野球用語に対し「併殺」や「盗塁」といった定着した日本語訳はまだ存在しなかった。それにもかかわらず、文献内では「アウトを取る」=「殺す」、「走者が次塁に向かう」=「盗む」と表現されている。

 つまり、「併殺」「三重殺」「刺殺」「補殺」「挟殺」という用語があるから「殺せ」と言い、「盗塁」という用語があるから「盗め」と言うようになったわけではない。用語の誕生以前から、日本人が野球の試合の当該場面を見て自然と連想した動詞が「殺す」「盗む」だったということである。つまり「殺す」「盗む」は当時の日本人の身体感覚にマッチした単語だったのである。実際これ以降の野球関連書籍でも、アウトに関わる表現には「死」や「殺」が用いられ続ける(アウトに関わる表現に対して当時の英語のスラングがdieやkillと言っていたものを直訳した可能性もあるが、たとえそうだとしても、それが現在に至るまで長らく用い続けられたという点から見れば、「殺す」「盗む」はやはり日本人の身体感覚に合っていたのであろう。ただし当時の英語のスラングについては未確認である)。宮城県高野連の「試合中に、『刺せ~』『殺せ~』『盗め~』という言葉が出るのはこういった用語があるからだと思われます。」という見解は、因果が真逆であるということである。

 今号はここまでとしたい。次号では引き続き、明治期の野球関連書籍から、野球用語の翻訳史を振り返っていきたい。


次回「やっぱり漢字が好き73」は11月16日(月)公開予定です。


≪参考資料≫

神田順治『復刻版/明治期野球名著選集解説』、ベースボール・マガジン社、1980年
復本一郎編『正岡子規ベースボール文集』、岩波書店、2022年
『明治期野球名著選集』、ベースボール・マガジン社、1980年
陳義煌・張世明・曾文彦編『中華民国棒球規則』、中華民国棒球協会、2019年



≪参考リンク≫

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≪著者紹介≫

戸内俊介(とのうち・しゅんすけ)
日本大学文理学部教授。1980年北海道函館市生まれ。東京大学大学院博士課程修了、博士(文学)。専門は古代中国の文字と言語。著書に『先秦の機能語の史的発展』(単著、研文出版、2018年、第47回金田一京助博士記念賞受賞)、『入門 中国学の方法』(共著、勉誠出版、2022年、「文字学 街角の漢字の源流を辿って―「風月堂」の「風」はなぜ「凮」か―」を担当)、論文に「殷代漢語の時間介詞“于”の文法化プロセスに関する一考察」(『中国語学』254号、2007年、第9回日本中国語学会奨励賞受賞)、「「不」はなぜ「弗」と発音されるのか―上中古中国語の否定詞「不」「弗」の変遷―」(『漢字文化研究』第11号、2021年、第15回漢検漢字文化研究奨励賞佳作受賞)などがある。

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