新聞漢字あれこれ165 「淼」 美しい富山の水を表します

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
富山県のアンテナショップへ行ったとき、珍しい漢字を使った名称の商品がありました。使われていたのは「淼」で、私が「超1級漢字※」と呼ぶJIS第3水準の漢字です。
東京都内の「日本橋とやま館」で1月下旬に開催された「まるごと射水フェア2025」。富山県射水市でとれた海産物をはじめ、特産品や工芸品などの展示・販売会が行われるなかで、目に留まったのが「富淼豆(とびょうず)」という商品。大豆を使った食パンということで、初めは原料の豆のことかと思いましたが、そうではなくパンの名前でした。
「まるごと射水フェア2025」で配られたチラシ
「淼」はまず目にする機会のない字です。私がこれまで新聞から採集した「淼」の用例も数が少なく、中国関係の固有名詞ばかりで、国内での使用は珍しいものでした。名前の由来が気になったこともあり、後日、射水市商工会を通じて、製造・販売元「る・ふっくらん」の代表・平井かおるさんに問い合わせてみました。
「る・ふっくらん」は一般社団法人「嘉の根」が運営する就労継続支援B型事業所で、9人の障害者の方がパンづくりに励んでいます。そこで「富淼豆」はイベントで販売する商品として2024年秋に誕生しました。主原料は富山のブランド米「富富富(ふふふ)」と、射水のおいしい水、小矢部市でとれた大豆で、しっとりとした食感が楽しめる一品。このときはまだ名前はなく、富富富で作ったパンとして出されました。
その後、東京のフェアでの販売が決まり、何か名前をつけなければと思ったのが12月。命名にあたっては、県や地元の食材をイメージできるものにしたいと、時間をかけて思案したといいます。候補には「富水豆」「水富豆」など複数挙がりましたが、「富」が富山県と富富富を、「豆」は大豆を表したとしても、「水」だけは「豊かな自然が育んだ美しい射水の水を表現しきれない」(平井さん)ことから、かなり悩んだそうです。
平井さんのメモ
「水」のつく最適な漢字を探し続けるなか、「これを使いたい!」と思わず感じた字が「淼」でした。「淼」は、『角川新字源 改訂新版』によれば「水がひろびろとはてしなく続くさま」という意味で、水を3つ合わせて「広大な水の意を表す」とのこと。地元・射水市の水を表すのにこれ以上の字はないという思いから「淼」が選ばれました。命名までの過程を記録した平井さんのメモからは、生みの苦しみの様子が伝わってきます。商品の誕生から数カ月を経て、2025年1月に「富淼豆」と正式に名前が決まりました。
地元の水への強い思いが名前に込められた「富淼豆」。現在はイベントに限らず、「る・ふっくらん」の店頭にも並ぶようになりました。文字は使われる地域とそこで暮らす人々とともにあり続けるものです。「淼」はパンが地元で愛されることによって、射水の「水」を表す字として定着していくことになるのかもしれません。
※超1級漢字:JIS第1・第2水準以外の漢字のこと。筆者の造語。漢検1級の出題範囲である約6000字がJIS第1・第2水準を目安としていることから。
次回、新聞漢字あれこれ第166回は4月2日(水)に公開予定です。
≪参考資料≫
『角川新字源 改訂新版』KADOKAWA、2017年
『方言漢字事典』研究社、2023年
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。1990年、校閲記者として日本経済新聞社に入社。2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 専修大学協力講座講師。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『方言漢字事典』(項目執筆、研究社)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)などがある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。