まぎらわしい漢字姓名・名づけ

新聞漢字あれこれ49 「巌」と「厳」 間違い率が9割も?

新聞漢字あれこれ49 「巌」と「厳」 間違い率が9割も?

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)

 10年くらい前でしょうか。社会面の記事を校閲しているときに、「厳」という名前の人が出てきました。隣席にいるその面の担当者に「9割方『巌』の間違いだよ」と伝えると、予想どおり「巌」が正解だったということがありました。

 「何で分かったのですか?」。資料に当たり「巌」が正しいと確認した担当者から質問されました。この担当者は異動で校閲を始めたばかりだったこともあり、驚いたようですが「経験則」としか言いようがありません。新聞校閲をしていると、通常の紙面で1日当たり少なくても10~20人の名前を資料などに当たり確認しています。ほかに人事や叙勲記事もありますので、20年も校閲をしていれば数万~十数万人もの氏名のチェックをしているわけですので、誤りのパターンが身に付いていることもあるでしょう。

 もちろん「厳」という字の名前の人はいますので、100%誤りとは言い切れません。ただ、経験上ほとんどが「巌」の誤りだったのは事実です。「巌」が常用漢字ではないため、なじみのある常用漢字の中で字形が似た「厳」に間違うのだと思います。人名ではありませんが、鹿児島県の名勝として知られる「仙巌園(せんがんえん)」を「仙厳園」と誤ったものを何度か見たことがあります。

 少し前に「小掘昴さん」(仮名。実際は「小」は別字ですが、あえて変えています)という氏名が原稿にあり、これも「掘」と「昴」が間違いではないかと担当者に調べてもらったところ、「小堀昂さん」の間違いだったということがありました。「ほり」の字は固有名詞では「堀」が多く、「昂」と「昴」も字形が似ているだけによく間違われます。連載の第4回で取り上げましたが、これまでは「昂」を「昴」と誤るケースがほとんどでしたが、「昴」が人名用漢字になって30年がたち、「昴」の名前の人も増えています。これからは逆のケースも出てくることでしょう。しかしながら、取材相手の氏名の3字のうち2字も間違うとは、新聞記者としていただけませんね。

 通勤途中に、高校の前を通ることがあります。この高校では全国大会などで活躍する運動選手やコンクールなどで入賞した生徒の氏名を「○○君、△△大会で優勝」などと垂れ幕を掲げ顕彰しています。ある日、垂れ幕にあった菊地という男子生徒の氏名で「地」が切り貼りされていたことがありました。「よく間違うんだよなあ」と思いながら前を通った記憶があります。「菊地」と「菊池」の誤りはよくありまして、「地」を「池」にするものが多いのです。真偽は分かりませんが、人口は菊地姓の人が菊池姓より多いそうで、菊池姓に著名人が多いことからよく間違うのだとか。この誤りを当の菊地君はどう思ったでしょうか。あまりいい気はしなかったことと思います。褒められているのに間違われたわけですからね。会ったこともない菊地君ですが、このことを思い出すたびに、新聞での固有名詞の誤字は許されないものだと改めて思うのです。

 8月初めに『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(三省堂)が発売になります。これは新聞・放送の用語担当者が5人集まり、約5年かけて執筆・編集したもので、私も携わりました。今回取り上げた「菊池・菊地」「昴・昂」といった誤りやすい固有名詞や、陥りやすいミスのポイントなど、新聞校閲のノウハウを盛り込んだ一冊です。漢字に興味のある読者の皆さんにも手に取っていただき、感想などを寄せてもらえれば、より良い辞典に成長していけるのではないかと思っています。

三省堂印刷王子工場の印刷現場風景

 最後は宣伝臭くなってしまい申し訳ありません。編集作業が終わり発売まで待ち遠しくなり、7月中旬、三省堂印刷八王子工場で辞典の印刷現場を見学させてもらいました。「誤植があってももう間に合わない」などと思いつつ、緊張しながら辞典が刷られているところを見てきたところです。書店に並ぶまで数日となりました。

≪参考資料≫

前田安正・関根健一・時田昌・小林肇・豊田順子『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』三省堂、2020年
森岡浩『ルーツがわかる名字の事典』大月書店、2012年

≪参考リンク≫

漢字ペディアで「巌」を調べよう
漢字ペディアで「厳」を調べよう
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≪著者紹介≫

小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。編集局 記事審査部次長、人材教育事業局 研修・解説委員などを経て2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。 著書などに『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林 第四版』(編集協力、三省堂)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。

≪記事画像≫

akiko/PIXTA(ピクスタ) (名勝「仙巌園」と桜島)

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