新聞漢字あれこれ55 「菅」と「管」 読みと字形は要確認
著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
自民党の菅義偉(すが・よしひで)氏が第99代首相に就任して1カ月余り。「菅」を「管」とする間違いを目にすることが増えたように感じます。民主党政権(当時)の菅直人(かん・なおと)氏が首相の時もそうでした。
どちらの字も「カン・すが」などと読みますし、パソコンで入力する際も変換候補に出てきます。字形も似ていることから、注意しないと誤りを見落としてしまいそうです。安倍晋三前首相も安部と誤記されることがありましたし、鳩山由紀夫氏が首相の時は名前を由起夫とする誤りがよくありました。元首相で東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の森喜朗氏の場合は名前の「喜」が「善」に、「朗」が「郎」と間違えられることがあり、2字とも要注意だったと記憶しています。日本の首相はメディアへの登場頻度が高く、それだけ誤字も増えるわけです。
とはいえ、誤りはできるだけ表に出ないよう食い止めなければなりません。新聞各社や校閲記者には、それぞれ間違いやすい人名のリスト、チェックするためのノウハウがあるものです。そんななかで『朝日新聞の用語の手引[改訂新版]』の資料編にある「誤記しやすい名字の例」は、参考になるもののひとつです。「【いとう】伊藤・伊東」「【たけだ】竹田・武田」など46項目が並び、これを頭に入れておけば人名チェックの勘が働くというわけです。
この資料を超えるものができないかと考え、『マスコミ用語担当者がつくった使える! 用字用語辞典』を編集するにあたり、姓のほか名の項目を設けることにし、用例には人名を積極的に入れることにしました。難しかったのは人選。誤りやすい姓・名の字に対して、必ずしもその字を持つ著名人がいるとは限らないからです。サッカーの本田圭佑選手(誤記例:本多圭祐)のような姓名とも誤りやすい字が入っている用例適任者は少なく、頭を抱えることもありました。辞典では誤りやすい姓・名・フルネームを約100項目示し、なるべく読者の記憶に残りやすいような人物を選ぶように努めました。
おさむ 人名。
修 東尾修(野球選手・監督。1950~)、林修(予備校講師・タレント。1965~)
脩 三原脩(野球選手・監督。巨人から西鉄へ移った1951年に登録名を「修」から「脩」に。81年に「脩」が人名用漢字になり本名も改めた。1911~1984)、下村脩(生物学者。2008年ノーベル化学賞受賞。1928~2018)
「おさむ」の項目を入れたのは「修」と「脩」が取り違えられやすいこともありますが、かつて次のような経験をしたからです。2006年に縁あって日本最古の社会人野球チーム、函館太洋俱楽部の100年史『函館オーシャンを追って』(非売品)を出版しました。その際に戦前の三原脩氏の名前を記述する箇所があり、どちらの字を使うべきか悩んだのです。当時の話なら「修」が正しいが、読者が誤字だと思わないかと。そんなこともあり辞典には改名の経緯を盛り込むことにしました。これは日本経済新聞社の中川淳一記者の綿密な取材による成果を引用したものです。興味のある方は日経電子版の記事か『謎だらけの日本語』(日経プレミアシリーズ)にある「『修』→『脩』名監督の改名は筋書きのないドラマ」をぜひお読みください。ちなみに「函館太洋俱楽部」も太洋を大洋とする誤植が、社会人野球を扱う記事に出てくるので、注意喚起として辞典に載せたしだいです。
『マスコミ用語担当者がつくった使える! 用字用語辞典』の人名項目について、インターネット上で「〇〇〇〇の名前なんて確認を必要とする人はどれほどいるのであろうか」という指摘がありました。そのとおりだと思います。この辞典は人名・人物辞典ではなく、あくまでも用字用語辞典なのですから、そんな使い方をする人はまれでしょう。一方で「人名項目の人選の基準が分からないところが面白い」と言ってくれる人もいました。これもそのとおりで、基準はあるようで無いようなもの。あくまでも姓・名の項目自体が主であり、用例からは編著者の思い・意図を少しでもくみ取ってもらえればいいかなと思っています。
9月の菅内閣発足直後、麻生太郎財務相が「かん内閣」「かん政権」と間違って言ったとの報道がありましたが、メディア側も「管内閣」などとしないよう注意しなければなりません。ちなみに『全国名字大辞典』によれば、「菅」姓は「愛媛県と山形県では圧倒的に『かん』が多いが、そのほかの県では『すが』が主流」だそうで、菅首相の出身地である秋田県などでは「ほとんどが『すが』と読む」(同辞典)のだそうです。よく「変換ミス」と言いますが、実際は変換候補に挙がったものを選ぶ際の「選択ミス」と言うべきでしょうか。パソコンは記事を書くための筆記用具であり、書くのは記者本人です。取材記者も校閲記者もミスを機械のせいにしてはならないのです。
≪参考資料≫
朝日新聞社用語幹事編『朝日新聞の用語の手引[改訂新版]』朝日新聞出版、2019年
小林肇『函館オーシャンを追って』長門出版社、2006年
芝野耕司編著『増補改訂JIS漢字字典』日本規格協会、2002年
中川淳一「三原『修→脩』名監督の改名は筋書きのないドラマ」日本経済新聞電子版、2012年1月10日付
日本経済新聞社編『謎だらけの日本語』日経プレミアシリーズ、2013年
前田安正・関根健一・時田昌・小林肇・豊田順子編著『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』三省堂、2020年
森岡浩編『全国名字大辞典』東京堂出版、2011年
≪参考リンク≫
漢字ペディアで「菅」を調べよう
漢字ペディアで「管」を調べよう
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≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。編集局 記事審査部次長、人材教育事業局 研修・解説委員などを経て2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。
≪記事画像≫
『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』から