新聞漢字あれこれ56 九州でツルを探したかった…

著者:小林肇(日本経済新聞社 用語幹事)
10月10日付朝刊の危険業務従事者叙勲の受章者名をチェックしていて、靍(つる)さんという姓を見つけました。福岡県の在住者だったので「やっぱりな」と思いました。
新聞から日々「超1級漢字※」を採集していると、「靍」のほかJIS第3水準の「靏」「靎」といった鶴の異体字を姓に持つ人名に出会います。笹原宏之早稲田大学教授の著書『方言漢字』(2013年)に「『靏』という二九画にも達する字を用いた姓が九州に目立つと日本経済新聞社の方からうかがっていたとおりたしかに多い」というくだりがありますが、これは恐らく私のことで、いつだったか漢字漢語研究会の後の懇親会で、笹原教授に〝熱く〟語ったと記憶しています。
私の「超1級漢字」を記録したノートをめくっていくと、「靍」や「靏」の字は、福岡県、福岡市、地元の銀行や放送局の人事記事で、姓として多く見られます。そんなことから笹原教授に話したわけなのですが、同教授の『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(2008年)にはすでに「靏」に言及した箇所があり、私もそれを読んでいたはずなのですが、情けないことに記憶にとどめていなかったのでした。私が熱く語ったことから『方言漢字』のような記述になったと思われますが、専門家に余計なことを言ってしまったなあと今更ながら恥じているところです。
「靍」の字をめぐり、かつて新聞で表記が揺らぐことがありました。福岡県出身でラグビーのサントリーに所属する中鶴隆彰(なかづる・たかあき)選手の「つる」の字で混乱したのです。同選手がトップリーグの最優秀選手(MVP)になった2016~2017年シーズン、「中靍」と「中鶴」の両表記が混在しました。登録名は「中靍」で、新聞では標準字体の「中鶴」にすることが理由になりますが、さらにややこしかったのは、所属先のホームページでは「中靏」としていたこと。いったいどの「つる」にすればいいのか、校閲現場が混乱しました(現在、所属先のホームページは修正されています)。
いろいろと調べたり問い合わせたりした結果、翌シーズンから登録名が「中鶴」となったこともあり、現在は「中鶴」で表記が落ち着きました。聞いた話では、選手本人は「どっちでも構わない」とのスタンスのようです。「靍」も「靏」も間違いやすいので、新聞で「鶴」に統一するのは無難な選択ではあったと思います。
今年の日本語学会秋季大会は九州大学で10月末に開催予定でしたが、コロナ禍の影響でオンライン開催となってしまいました。実は学会参加にあわせて「つる」の字の現地採集をしてくるつもりだったのですが、残念ながらかなわず。東京から地域の漢字調査に行きやすい状況に早く戻ってほしいものです。
※超1級漢字:JIS第1・第2水準以外の漢字のこと。筆者の造語。漢検1級の出題範囲である約6000字がJIS第1・第2水準を目安としていることから。
≪参考資料≫
小池和夫『異体字の世界』河出書房新社、2007年
小林肇「新聞の外字から見えるもの」明治書院『日本語学』2016年6月号
笹原宏之『国字の位相と展開』三省堂、2007年
笹原宏之『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』光文社、2008年
笹原宏之『方言漢字』角川選書、2013年
笹原宏之『漢字に託した「日本の心」』NHK出版、2014年
丹羽基二『人名・地名の漢字学』大修館書店、1994年
飛田良文監修・菅原義三編『国字の字典 新装版』東京堂出版、2017年
≪参考リンク≫
漢字ペディアで「鶴」を調べよう
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≪著者紹介≫
小林肇(こばやし・はじめ)
日本経済新聞社 用語幹事
1966年東京都生まれ。金融機関に勤務後、1990年に校閲記者として日本経済新聞社に入社。編集局 記事審査部次長、人材教育事業局 研修・解説委員などを経て2019年から現職。日本新聞協会新聞用語懇談会委員。漢検漢字教育サポーター。漢字教育士。
著書に『マスコミ用語担当者がつくった 使える! 用字用語辞典』(共著、三省堂)、『謎だらけの日本語』『日本語ふしぎ探検』(共著、日経プレミアシリーズ)、『文章と文体』(共著、朝倉書店)、『日本語大事典』(項目執筆、朝倉書店)、『大辞林第四版』(編集協力、三省堂)、『加山雄三全仕事』(共著、ぴあ)、『函館オーシャンを追って』(長門出版社)がある。2019年9月から三省堂辞書ウェブサイトで『ニュースを読む 新四字熟語辞典』を連載。
≪記事画像≫
ゆ~や/PIXTA(ピクスタ)