四字熟語根掘り葉掘り93:「新進気鋭」の政治家の思惑
著者:円満字二郎(フリーライター兼編集者)
10世紀の後半、北宋王朝の時代。当時の中国は、政治的な混乱が収まってようやく統一を取り戻したものの、北方の異民族の王朝、遼からの圧力に苦しんでいました。
そんな時代に若くして頭角を現したのが、寇準(こうじゅん。961~1023)という政治家。彼は二十歳になるかならないかのうちに科挙の試験に合格すると、エリート街道まっしぐら。30代の初めには、早くも中央官庁で人事担当の責任者を務めるまでに出世します。
そこで同僚になったのが、年のころは50代の終わり、老学者として知られた張洎(ちょうき)でした。このときの寇準について、『宋史』という歴史書は次のように記しています。
「準は年少にして、新進気鋭(しんしんきえい)、思うに老儒をして己に附かしめ、以て自ら大ならんと欲す。」
「新進気鋭」とは、〈若くて意欲にあふれているようす〉。そんな寇準は、30歳近くも年上の大先輩を手なずけて、自分の立場を強くしようと考えたのです。
ところが、当の張洎は、朝から晩まで仕事に没頭。出退勤時には寇準に礼儀正しくあいさつはするものの、一言もことばを交わそうとしません。その態度に感服した寇準は、張洎のことをますます高く評価し、自分から声を掛けて語り合うようになりました。そして、やがて寇準が大臣になると、その推薦で張洎も大臣へと昇進したのでした。
以上の話は、『宋史』以外にもいくつかの書物に記録されているもので、私が知っている限りでは「新進気鋭」の最も古い使用例です。むやみになれなれしくしないところがいかにも「君子」らしくて、とても気に入っているのですが、実はまだ続きがあります。
寇準のおかげで大臣となった張洎は、実権は持たず、寇準に政治を任せきりにしました。ところが、そんな二人もやがて仲違いをして、寇準は張洎をうとんじるようになります。張洎は張洎で、あるできごとをきっかけに自分の立場が危うくなると、保身のために皇帝に寇準の悪行を告げ口するという始末。皇帝から責められた寇準は、顔色を変えただけであえて弁解はせずに職を辞した、と『宋史』にはあります。
すでに齢60を超えていた張洎は、この翌年、997年に亡くなります。やがて大臣へとカムバックした寇準は、1004年、その指導力と行動力をいかんともなく発揮して遼王朝との平和条約を結ぶことに成功、歴史に名を残したのでした。
それにしても、寇準と張洎の関係には、いろいろと考えさせられますよね……。少なくとも、「新進気鋭」の人物が功成り名を遂げるまでには、越えなくてはならない山や谷がいくつもあるようです。
≪参考リンク≫
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≪著者紹介≫
円満字二郎(えんまんじ・じろう)
フリーライター兼編集者。 1967年兵庫県西宮市生まれ。大学卒業後、出版社で約17年間、国語教科書や漢和辞典などの編集担当者として働く。 著書に、『漢字の使い分けときあかし辞典』(研究社)、『漢和辞典的に申しますと。』(文春文庫)、『知るほどに深くなる漢字のツボ』(青春出版社)、『雨かんむり漢字読本』(草思社)、『漢字の植物苑 花の名前をたずねてみれば』(岩波書店)など。最新刊『難読漢字の奥義書』(草思社)が発売中。
●ホームページ:http://bon-emma.my.coocan.jp/
≪記事画像≫
寇準像(西安石刻より)