歴史・文化難読漢字

「嬲」と「嫐」の各地での受け入れと変容⑤ ~南北朝時代から江戸時代までの「嬲」と「嫐」~

「嬲」と「嫐」の各地での受け入れと変容⑤ ~南北朝時代から江戸時代までの「嬲」と「嫐」~

筆者:笹原宏之(早稲田大学教授)

5 南北朝時代から江戸時代までの「嬲」と「嫐」

 「嬲」「嫐」は、前回で述べたとおり平安時代に和語「なぶる」という訓読みを与え、またその語の表記として受け入れて以来、日本の人々の間で使われ続けてきました。
 しかし、日本人の手に掛かると、字面から、誰が誰をいじめているのかといったことまで考えるようになり、二つの字が書き分けられることが起こりました(現在でも、二つの字が同じ読み方であることは不思議だと感じる人がいます)。

 中世になると、これらの字の用例も増えていきます。そこで以下では、主要な例を挙げていきます。
 南北朝時代の末に、一般の人々が字を覚えるためにと編まれた教科書である『琑(しょう・さ)玉集』では、

  中女嬲(おんなを なかにして なぶる)
  迫男嫐(おとこを たばさんで ねたむ。「たばさむ」は、手挟むで、わきに挟み持つこと。「ねたむ」を「なやむ」とするテキストもある)

と、1か所で2つの字が見事に使い分けられるに至りました。
 このような字まで学習する必要が本当にあったのかどうかは疑問ですが、学習者の興味を引いたり、会意文字という仕組みを理解させたりするためには、こうした字はある程度有効と編者の僧円一は考えたのかもしれません。

 このように日本では、「嬲」と「嫐」には、中国ではほぼ使い分けをしないという伝統的な用法から離れて、それぞれその文脈において、独自の訓で読まれることすら、歴史のなかであちこちで生じてきたのです。
 日本では、男女がこのように3人並んだ字に対しては、早くからこうした色恋沙汰や強引な行為に関する字義や訓読みが浮かびやすかったことがうかがえます。

 室町時代に至ると、辞書では、「嫐」に対して『伊京集』に「ひつはる(ひっぱる)」、文明本『節用集』などに同義、類義の「ひきしろう(ママ)」という訓が付されます(前述した『類聚名義抄』では「嬲」の訓でした)。
 延慶本『平家物語』には、「嫐」をこの「ひきしろふ」として実際に文中で用いています。

『伊京集』の「ひつはる(ひっぱる)」             『伊京集』の「ひつはる(ひっぱる)」

 一方の「嬲」は、室町時代の漢和辞書である『倭玉篇』の類に、古来の「なぶる」などの訓が受け継がれ、実際に文芸作品に使用されています。

 そして、徳川家康が天下を取って近世に入ります。江戸時代には、辞書の『いろは字』では、この「嬲」に「せせる」という新たな訓も与えられたことがわかります。もてあそぶといった意味合いでしょう。
 『邇言便蒙抄』(1682年)中末では「嬲ナブル(傍訓)」「嫐ネタム(傍訓)」とし、字音もチョウとダウ(ドウ)とで別としています。編著者の永井如瓶子は、「これらは誠に 字制(セイ)によりてみるに さも訓すへし」と、差を認める評を述べています。

 元禄時代頃の西鶴作品においては、「嬲」も「嫐」も「なぶる」として使われているのですが、まだ字面によって表す状況を使い分けるような例はなかなか見つかりません。
 しかしその頃、後妻や嫉妬を意味する「嫐(うわなり)」は、初代市川團十郎が1699年に中村座で上演したうわなり打ちの演目に使われました。
 そして、これを契機として「嫐」という字がかなりの定着をみせます。天保年間、七代目市川團十郎によって、市川家の十八番(おはこ)の一つに選ばれ、歌舞伎十八番の演目となりました。これは、江戸時代の当初の記録では「嬲」と書かれていたのですが(『謎の漢字』参照)、嫉妬を起こす後妻を表すには、やはり「嫐」の配置でなくてはしっくりこない人が多かったのでしょう。

 『日本国語大辞典』第二版は、談義本『艶道通鑑(えんどうつがん)』(正徳五年(1715)初版による)一・一三の

  今時死皮(シニカハ)にぬくもりて譲金に腹ひやす後家どもが役者買て嫐(なぶり)あそぶは

という、字面を意識した可能性をうかがわせる用例を収めます。
 この書籍の享保四年版や国文研所蔵の無刊記版、明治二十四年活字版などを見ると、「なふり遊ふ(ぶ)」と、「嫐」の部分が仮名表記になっていました。

 また、江戸中期に福松陶芋が著した読み本浄瑠璃である『宇賀道者源氏鑑』には、「道行嫐獅子」という題が見られます。この版本においては、その本文の道行文に、「僅五銭か三銭に代なす花に嫐獅子」の「嫐」という字に「うかれ」と振り仮名があるのです(東文研に勤めていた飯島満氏に教えていただきました)。そうするとこの題も「みちゆきうかれじし」と読んでいたことになると考えられます。
 この社会に生きた作家は、「嫐」が「うわなり」などの表記に使う既存の字だということはたいてい知っていたことでしょうから、その字面から新たに男一人と女二人の楽しげな情景を思い浮かべ、「浮かれ」という当て読みを行ったものなのでしょう。粋な文体の中で、新たな国訓が生じた例といえそうです。

 江戸時代には、式亭三馬や柳亭種彦による戯作や雑俳作品のなかで、「男」「女」の字はさらに複雑に組み合わされます。もはや漢字ではない、といいたくなるような凸凹なバランスの字形まで作られました。戯作では、さらにその亜流の書籍までいくつも刊行され、それらでは驚くような造字さえ数多く見られますが、引用することは控えておきます。

≪参考リンク≫

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スペイン人、スイス人、ドイツ人ほかの「嬲」と「嫐」

≪著者紹介≫

笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
東京都出身。国立国語研究所主任研究官等を経て早稲田大学教授。
博士(文学)。専門は言語学(文字・表記論)。日本漢字学会理事、日本語学会評議員。
単著に『国字の位相と展開』(三省堂 金田一賞、白川賞)、『日本の漢字』(岩波書店)、『漢字ハカセ、研究者になる』(同)、『方言漢字』(KADOKAWA)、『謎の漢字』(中央公論新社)、『画数が夥しい漢字121』(大修館書店)、『方言漢字事典』(研究社)、『美しい日本の一文字』(自由国民社)等。デジタル庁の行政事務標準文字、経済産業省のJIS漢字、法務省の人名用漢字・戸籍のフリガナ、文化庁の常用漢字、NHK放送用語、日本医学会用字、漢検奨励賞、『新明解国語辞典』、『三省堂 中学国語』、『光村教育図書 小学新漢字辞典』、『日本語学』(明治書院)等に関する委員を務める。

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